アールにも合い図をして兄の意に逆《さから》わぬようにさせます。兄は自分で思ったことはどんな危険をも冒します。私はマグロアールを伴ない、自分の室に帰り、兄のために祈りをして、それから眠るのです。私は心安らかにしております。もし兄に何か不幸が起こるならばその時が私の終わりであることを、はっきり知っていますから。私は私の兄たり司教たる人とともに神様のもとへ行きますでしょう。マグロアールの方は、彼女が兄の不用心と呼んでいますこのことになれるのに、私よりもよほど困難でありました。けれどもただ今ではもうなれっこになっています。私どもは二人でいっしょに祈り、いっしょに気づかい、いっしょに眠りにつきます。家の中に悪魔がはいってきますなら、なすままにさしておきましょう。要するにこの家の中で私どもは何を恐れることがありましょう。最も強い人が常に私どもとともにいるのです。悪魔はこの家を通り過ぎることもありましょう。しかし神様はこの家に住まわれています。
 それで私には十分であります。兄はもう今では私に一言も申さなくてよろしいのです。ことばなくとも私は兄の心を了解します。そして私どもは神のおぼし召しに身を任せます。
 精神に偉大なものを持っている人とともにあるには、かくなければなりません。
 フォー一家についてお尋ねのことは兄に聞き訊《ただ》してみました。兄は常に善良な王党の人でありますので、御承知のとおりいろいろなことを知っており、いろいろな事を記憶しております。この一家は確かにカアン地方のきわめて古いノルマンディーの家がらであります。五百年前にはラウール・ド・フォー、ジャン・ド・フォー、トーマ・ド・フォーなどの貴族がありまして、その一人はロシュフォールの領主でした。一家の最後の人はギー・エティエンヌ・アレクサンドルと言って、連隊の指揮官でまたブルターニュ軽騎兵の何かの役を持っていました。その娘のマリー・ルイズは、ルイ・ド・グラモン公爵の息子《むすこ》アドリアン・シャール・ド・グラモンと言って、枢密官であり親衛軍の連隊長で陸軍中将であった人と、結婚しています。それからフォーというのには Faux, Fauq, Faoucq の三とおりの綴《つづ》り方があります。
 子爵夫人さま、私どものことをあなたの聖《きよ》き御親戚枢機官様へよろしくお願いいたします。あなたの御親愛なるシルヴァニー様については、おんもとに御滞在もしばしのことと存じますので、私へおたよりのひまもございますまい。ただ、いつもお健やかに、あなたのお望みのとおりによく務められ、また常に私を愛して下されんこと、それのみが私の望みであります。あなたを通してお送り下さいましたあの方の記念の品、到着いたしました。たいへんにうれしく存ぜられます。私の健康はさして悪い方ではありませぬ、けれども日に日にやせて参ります。それでは紙もつきましたのでこれで筆をとめます。
[#ここで字下げ終わり]
[#地から1字上げ]かしこ。
[#地から3字上げ]バティスティーヌ
[#ここから2字下げ]
 追白――御令弟夫人には若き御一家とともにいつもこの地におられます。御子息はまことに愛くるしくていられます。御存じでもありましょうが、やがて五歳になられます。昨日、膝当《ひざあて》をした馬の通るのを見て言われるのです。「あの馬は膝をどうしたの。」いかにもかわいらしいお子様です。その小さい弟御は古い箒《ほうき》を馬車にして室の内を引きずりながら、「ハイ、ハイ」と申されています。
[#ここで字下げ終わり]

 この手紙によって見るも、これらの二人の婦人は、男子が自らを了解するよりもいっそうよく男子を了解するあの特殊な女の才能をもって、司教のやり方におのれを一致させることを得たのである。ディーニュの司教は、常に変わらぬ穏和率直なふうをもってして、しかも往々豪胆な崇高な大事をなしたのである。彼は自らもそれに気付かないがようであった。二人の婦人はそれを非常に心配したが、しかし彼のなすままにして置いた。時としてマグロアールは事の前にあらかじめ注意することもあったが、その最中や事後には決してしなかった。一度何かが初められると、彼女たちは決して身振りでさえも彼をわずらわすことをしなかった。ある場合など、彼はおそらく自らもはっきり意識しないほどまったく単純に行なったので、一言も言われなくても、彼女たちは漠然《ばくぜん》と彼が司教らしい行動をしているように感じた。そういう時には、彼女たちは家の中において単に二つの影にすぎなかった。彼女たちは全く受動的に司教に仕え、もし身を退けることが彼の意に従うならば、その傍《そば》から身を退くのであった。彼女たちは非常に微妙な本能によって、ある種の世話はかえって彼の心をわずらわすものであることを知っていた。それで司教が危険な場合に臨んでいると思う時ですら、彼女たちは、彼の思想をとは言えずとも彼の性質をよく了解していたので、彼の身についてあまり注意することをしなかった。彼女たちは彼を神にゆだねていた。
 その上前の手紙にあったようにバティスティーヌは、司教の最期はまた自分の最期であると言っていた。マグロアールは、そうと口には出さなかったが、また彼女にとってもそうであることを知っていた。

     十 司教未知の光明に面す

 前章に引用した手紙の日付より少し後のことであったが、司教はあることを行なった。市民の言うところを信ずれば、それはあの盗賊の出没する山間を通ったことよりもいっそう危険なことだったのである。
 ディーニュの近くの田舎《いなか》に、孤独な生活をしている一人の男があった。この男は、一言無作法な言葉をもって言えば、もとの民約議会の一員であった。名をG《ゼー》某と言った。
 ディーニュの小さな社会では、一種の恐怖をもってこの民約議会の一員Gのことが話された。民約議会の一員、それを想像してもみよ。互いにぞんざいな言葉を使い、君と呼びあう革命時代にいた奴《やつ》である。彼はほとんど一つの怪物である。彼は王の死刑には賛成しなかったが、ほとんどしたも同じである。准|弑虐者《しぎゃくしゃ》で、恐るべき奴である。正当な君主が戻られた際に、人々はなぜこの男を臨時国事犯裁判所に連れ出さなかったのか。必ずしも首を切る必要はなかったかも知れない。寛大が必要であったろうから。しかし終身追放くらいは。要するに一つの見せしめなんだ! それから……またそれから……。その上彼は、その仲間の奴らと同じに無神論者なんだ。――市民らはちょうど禿鷹《はげたか》について鶩《あひる》の騒ぐがような調子であった。
 で結局このGは禿鷹であったであろうか。もし彼の孤独な生活のうちにおけるその獰猛《どうもう》な有様より判断するならば、しかりと言わなければならなかった。ただ王の処刑に賛成しなかったばかりで、彼は追放被布告者のうちに入れられずに、フランスにとどまってることができたのであった。
 彼は町から四五十分ほどかかる所に、村里遠く道路から遠く、荒涼たる谷間の人知れぬ場所に住んでいた。彼はそこに少しの畑地と、一つの陋屋《ろうおく》、巣窟《そうくつ》を持っていると言われていた。隣人もなく通りすぎる人もなかった。彼がその谷合いに住んでいらい、そこに通ずる一筋の小道は草におおわれてしまった。そこのことを人々は死刑執行人の住家のように言っていた。
 けれども司教はそれに思いを馳《は》せ、一群《ひとむれ》の木立ちがその年老いた民約議会員のいる谷間を示しているあたりを時折ながめた。そして言った、「彼処《あそこ》に一人ぽっちの魂がある。」
 そして彼は胸の奥でつけ加えて言った。「私は彼を訪れてやるの責がある。」
 しかし実を言えば、一見きわめて自然なことのように見えるその考えは、少しの考慮の後には尋常ならぬ不可能なことのように彼には思えた、そしてほとんど嫌悪《けんお》すべきことのようにさえ思えた。何となれば、彼もまた内心一般の人々と同じ印象を受けていた。そして彼自らはっきり自覚はしなかったが、この民約議会員は憎悪《ぞうお》に近い感情を、敬遠という言葉によってよく現わさるる一種の感情を、彼の心に吹き込んでいたのである。
 けれども、羊の悪病は牧人を後《しり》えに退かしむるであろうか。いな。とはいえ何という羊であるかよ!
 善良な司教は困惑していた。時とするとその方へ出かけてみたが、また戻ってきた。
 ところがある日、一の噂《うわさ》が町にひろがった。その陋屋《ろうおく》の中で民約議会員G《ゼー》に仕えていた牧者らしい若者が、医者をさがしにきたそうである。年老いた悪漢はまさに死にかかっている。全身|麻痺《まひ》している。今晩がむつかしい。「ありがたいことだ!」とある者はその話の終わりにつけ加えた。
 司教は杖《つえ》を取った。それから、前に言ったとおりあまりすり切れている法衣を隠すためと、間もなく吹こうとする夕の風を防ぐために、外套を着た。そして家を出かけた。
 日は傾いてまさに地平線に沈まんとする頃、司教はその世を距《へだ》てた場所に着いた。小屋の近くにきたことを知って、一種の胸の動悸《どうき》を覚えた。溝《みぞ》をまたぎ、生籬《いけがき》を越え、垣根《かきね》を分け、荒れはてた菜園にはいり、大胆に数歩進んだ。すると突然、その荒地の奥の高く茂った茨《いばら》の向こうに一つの住家が見えた。
 それは軒低い貧しげなこぢんまりした茅屋《ぼうおく》であって、正面にぶどう棚がつけられていた。
 戸の前に、農夫用の肱掛椅子《ひじかけいす》である車輪付きの古い椅子に腰掛けて、白髪の一人の男が太陽を見てほほえんでいた。
 腰掛けている老人の傍《そば》には、牧者である年若い小僧が立っていた。彼は老人に一杯の牛乳を差し出していた。
 司教がじっとながめている間に、老人は声を立てて言った。「ありがとう。もう何もいらないよ。」そして彼のほほえみは太陽の方から子供の上に向けられた。
 司教は進んでいった。その足音に、腰掛けていた老人は頭をめぐらした。彼の顔には、長い生涯を経た後にもなお感じ得るだけの驚きが浮かんだ。
「私がここにきていらい、人が私の所へきたのはこれが初めてだ。」と彼は言った。「あなたはどなたです。」
 司教は答えた。
「私はビヤンヴニュ・ミリエルという者です。」
「ビヤンヴニュ・ミリエル! 私はその名前をきいたことがあります。人々がビヤンヴニュ閣下と呼んでいるのはあなたですか。」
「私です。」
 老人は半ば微笑を浮かべて言った。
「それではあなたは私の司教ですね。」
「まあいくらか……。」
「おはいり下さい。」
 民約議会員は司教に手を差し出した。しかし司教はそれを取らなかった。そしてただ言った。
「私の聞き違いだったのを見て、私は満足です。あなたは確かに御病気とは見受けられません。」
「もう癒《なお》るに間もないのです。」と老人は答えた。
 彼はそれからちょっと言葉を切ったが、また言った。
「三時間もしたら死ぬでしょう。」
 それからまた彼は続けて言った。
「私は少々医学の心得があります。どんなふうに最期の時間がやって来るかを知っています。昨日私は足だけが冷えていました。今日は膝《ひざ》まで冷えています。ただ今では冷えが腰まで上ってきてるのを感じます。心臓まで上って来る時は、私の終わりです。太陽は美しいではありませんか。私は種々なものに最後の一瞥《いちべつ》を与えるため、外に椅子を出さしたのです。お話し下すってかまいません。私はそれで疲れはしませんから。あなたは死んでゆく者を見守りにちょうどよくこられました。死に目を見届けてくれる人がいるのはいいことです。人には何かの奇妙な望みがあるものです。私は夜明けまで生きていたいと思っています。しかしやっと三時間くらいきり生きられないのをよく知っています。夜になるでしょう。だが実はそんなことはどうでもよろしいのです。生を終わるということは簡単なことです。そのためには別に朝を必要としません。そうです、私は星の輝いた
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