すを欲しないから、彼がナポレオンの衰微に対しては冷淡な態度を取ったことを付記しなければならない。一八一三年以後、あらゆるナポレオン反対の運動に彼は賛成しもしくは喝采《かっさい》した。彼はナポレオンがエルバ島より帰来する途中、それを迎えることを拒み、またナポレオンの再挙一百日の間、皇帝のための公の祈祷を教区内に禁じた。
 妹のバティスティーヌ嬢のほかに彼は二人の兄弟を持っていた。一人は将軍で他は知事であった。彼は二人のいずれにもかなりしばしば手紙を書いた。前者はナポレオンのカーヌ上陸の際プロヴァンスの司令官をしていて、千二百人の部下を率いてナポレオンを追跡したが、それがあたかも彼に遁走《とんそう》することを故意に許したような追跡だったので、司教は一時あまり好意を持たなかった。も一人の兄弟に対する司教の通信はいっそう愛情の籠《こも》ったものであった。その兄弟はもと知事であったが、堂々たるりっぱな人で、今はパリーのカセット街に隠退していた。
 それでビヤンヴニュ閣下といえどもまた、党派心を有する時があり、にがにがしい気分の時があり、心の曇ることがあった。永遠の事物に向けられているその穏かな偉
前へ 次へ
全639ページ中104ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
ユゴー ヴィクトル の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング