見てほほえんでいた。
 腰掛けている老人の傍《そば》には、牧者である年若い小僧が立っていた。彼は老人に一杯の牛乳を差し出していた。
 司教がじっとながめている間に、老人は声を立てて言った。「ありがとう。もう何もいらないよ。」そして彼のほほえみは太陽の方から子供の上に向けられた。
 司教は進んでいった。その足音に、腰掛けていた老人は頭をめぐらした。彼の顔には、長い生涯を経た後にもなお感じ得るだけの驚きが浮かんだ。
「私がここにきていらい、人が私の所へきたのはこれが初めてだ。」と彼は言った。「あなたはどなたです。」
 司教は答えた。
「私はビヤンヴニュ・ミリエルという者です。」
「ビヤンヴニュ・ミリエル! 私はその名前をきいたことがあります。人々がビヤンヴニュ閣下と呼んでいるのはあなたですか。」
「私です。」
 老人は半ば微笑を浮かべて言った。
「それではあなたは私の司教ですね。」
「まあいくらか……。」
「おはいり下さい。」
 民約議会員は司教に手を差し出した。しかし司教はそれを取らなかった。そしてただ言った。
「私の聞き違いだったのを見て、私は満足です。あなたは確かに御病気とは見受けられません。」
「もう癒《なお》るに間もないのです。」と老人は答えた。
 彼はそれからちょっと言葉を切ったが、また言った。
「三時間もしたら死ぬでしょう。」
 それからまた彼は続けて言った。
「私は少々医学の心得があります。どんなふうに最期の時間がやって来るかを知っています。昨日私は足だけが冷えていました。今日は膝《ひざ》まで冷えています。ただ今では冷えが腰まで上ってきてるのを感じます。心臓まで上って来る時は、私の終わりです。太陽は美しいではありませんか。私は種々なものに最後の一瞥《いちべつ》を与えるため、外に椅子を出さしたのです。お話し下すってかまいません。私はそれで疲れはしませんから。あなたは死んでゆく者を見守りにちょうどよくこられました。死に目を見届けてくれる人がいるのはいいことです。人には何かの奇妙な望みがあるものです。私は夜明けまで生きていたいと思っています。しかしやっと三時間くらいきり生きられないのをよく知っています。夜になるでしょう。だが実はそんなことはどうでもよろしいのです。生を終わるということは簡単なことです。そのためには別に朝を必要としません。そうです、私は星の輝いた 
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