まっさつ》さしていた。勅令によってアングーレームは海軍兵学校の所在地となされていた、というのは、アングーレーム公爵は偉い海軍提督で、したがってアングーレームの町は海港たるのすべての資格をそなえていて、もしさもなくば王政の大綱は破綻《はたん》をきたしていたであろうから。内閣会議では、フランコニ曲馬団の広告のまわりに書かれて町の子供らを集めている綱渡りの芸を現わした模様の絵を、許すべきかどうかが問題となっていた。アグネーズ[#「アグネーズ」に傍点]の作者であって、頬に一つ疣《いぼ》のある四角い顔の好人物たるパエル氏は、ヴィル・レヴェーク街のサスネー侯爵夫人の催しにかかる親しい間がらだけの小さな演奏会を指導していた。若い娘たちはエドモン・ジェローの歌詞であるサン[#「サン」に傍点]・タヴェルの隠士[#「タヴェルの隠士」に傍点]を歌っていた。骨牌《カルタ》のナーン[#「ナーン」に傍点]・ジョーヌ[#「ジョーヌ」に傍点]はミロアール[#「ミロアール」に傍点]に代えられていた。ランブランの珈琲《コーヒー》店は皇帝派をもって立ち、ブールボン派をもって立っているヴァロア珈琲店と対抗していた。シシリーのある王女とまだ幼にしてルーヴェルに認められていたベリー公爵とが結婚したばかりだった。マダム・ド・スタールが死んで既に一年になっていた。親衛兵らはマルス嬢の舞台を邪魔していた。大新聞も皆紙面が小さかった。形は制限せられていたが、記事の自由は大であった。コンスティチュシオンネル[#「コンスティチュシオンネル」に傍点]紙は立憲派であった。ミネルヴ[#「ミネルヴ」に傍点]紙は Chateaubriand《シャトーブリアン》 を Chateaubriant と書いていた。シャトーブリアンには気の毒であるが、そのT[#「T」に傍点]を市民は大変おかしがっていた。買収せられた紙上で節を二にした記者らは、一八一五年に追放を受けた者らを侮辱した。曰《いわ》く、ダヴィッドももはや才能を有せず、アルノーももはや機才を有せず、カルノーももはや誠実を有せず、スールトももはや戦勝をもたらさず、ナポレオンももはや天下を有しないのは事実であると。郵便で被追放者にあてられた手紙は、警察の方で忠実に途中で押さえるので届くことはきわめてまれであるのを、だれも知らないではなかった。その事実は何も新しいことではない、追放された
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