めてくれないんです。」
「それではシャフォー街のあの男の家に行ったかね。」
 男はますます当惑してきた。彼はつぶやいた。
「そこでも泊めてもらえないんです。」
 農夫の顔には疑惑の表情が浮かんだ。彼はその新来の男を頭の上から足の先までじっとながめた。と突然身を震わすようにして叫んだ。
「お前さんは例の男ではあるまいね……。」
 彼は男をじろりとながめて、後ろに三歩|退《さが》って、テーブルの上にランプを置き、そして壁から銃を取りおろした。
 その間に、「お前さんは例の男ではあるまいね[#「お前さんは例の男ではあるまいね」に傍点]……」という農夫の声をきいて、女も立ち上がり、両腕に二人の子供を抱いて、急いで夫の背後に隠れ、胸を露《あら》わにびっくりした目つきをしてその見知らぬ男をこわごわながめながら、低く田舎《いなか》言葉で「どろぼう[#「どろぼう」に傍点]」とつぶやいた。
 それらのことは、想像にも及ばないほどわずかな間に行なわれたのだった。主人はあたかも蝮《まむし》をでも見るように例の男[#「例の男」に傍点]をしばらくじろじろ見ていたが、やがて戸の所へきて言った。
「行っちまえ。」
「どうぞ、」と男は言った、「水を一ぱい。」
「ぶっ放すぞ!」と農夫は言った。
 それから彼は荒々しく戸を閉ざした。そして大きな二つの閂《かんぬき》のさされる音が聞こえた。一瞬の後には雨戸も閉ざされ、鉄の横木のさされる音が外まで聞こえた。
 夜はしだいに落ちてきた。アルプス颪《おろし》の寒い風が吹いていた。暮れ残った昼の明るみで、見なれぬ男は、通りに接したある庭のうちに芝土でできてるように思われる小屋らしいものを認めた。彼は思い切って木|柵《さく》を越えて庭の内にはいった。小屋に近よってみると、入り口といってはきわめて低い狭い開戸《ひらき》がついていて、道路工夫が道ばたにこしらえる建物に似寄ったものであった。彼はそれが実際道路工夫の住居であると思った。彼は寒さと飢えとに苦しんでいた。飢えの方はもう我慢していたが、しかしそこは少なくとも寒さを避け得る場所であった。その種の住居には普通夜はだれもいないものである。彼は腹ばいになって小屋の中にはいりこんだ。中は暖かで、かなりよい藁の寝床が一つあった。彼はしばらくその寝床の上に横たわっていた。すっかり疲れ果てて身を動かすこともできなかったのである
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