た。食卓には快活淡泊な顔つきをした四十かっこうの男がすわっていて、膝《ひざ》の上に小さな子供が飛びはねていた。そのそばに年若い女がも一人の小児に乳をやっていた。父は笑っており、子供は笑っており、母はほほえんでいた。
 男はこの穏和なやさしい光景の前にしばらくうっとりと立っていた。その心のうちにはどんな考えが浮かんだか? それを言い得るのはただ彼のみであろう。がたぶん彼は、その楽しい家は自分を歓待してくれるかも知れないと思ったろう、そしてかくも幸福に満ちた家からはおそらく少しの憐憫《れんびん》を得らるるかも知れないと。
 彼はきわめて軽く窓ガラスを一つたたいた。
 家の人にはそれが聞こえなかった。
 彼は再びたたいた。
 彼は女がこういうのをきいた。「あなた、だれかきたようですよ。」
「そうじゃないよ。」と夫は答えた。
 彼は三度たたいた。
 夫は立ち上がって、ランプを取り、そして戸の方へ行って開いた。
 それは半ば農夫らしく半ば職人らしい背の高い男であった。左の肩まで届いている大きな皮の前掛けを掛けていて、その上に帯をしめてポケットのようになった所に、槌《つち》や赤いハンケチや火薬入れや種々なものを入れていた。頭はずっと後方に反《そ》らし、広くはだけて襟《えり》を折ったシャツは白い大きな裸の首筋を現わしていた。濃い眉毛、黒い大きな頬鬚《ほほひげ》、ぎろりとした目、下半面がつき出た顔、そしてそれらの上に言葉に現わせない落ち着いた様子が漂っていた。
「ごめんください。」と旅人は言った。「金を出しますから、どうぞ一ぱいのスープを下すって、それから、あの庭の中の小屋のすみに今晩寝かしてもらえませんか。いかがでしょう? 金は差し上げますが。」
「お前さんはどういう人だね。」と主人は尋ねた。
 男は答えた。「ビュイ・モアソンからきた者です。一日歩き通しました。十二里歩いたのです。いかがでしょうか、金は出しますが。」
「私は、」と農夫は言った、「金を出してくれる確かな人なら泊めるのを断わりはしない。だがお前さんはなぜ宿屋に行かないのだ。」
「宿屋に部屋《へや》がないんです。」
「なに、そんな事があるものか。今日は市《いち》の立つ日でもないし、売り出しの日でもない。ラバールの家に行ってみたかね。」
「行きました。」
「それで?」
 旅人は当惑そうに答えた。「なぜだか知りませんが、泊
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