まじめな人々」や「謹厳な人々」や「理性的な人々」から欠点ありと目せられたのは、そこから由来したことであって、彼があまりに多く愛した[#「あまりに多く愛した」に傍点]がゆえである。がこの過度の愛とは何であったか。それは吾人がすでに前に示したように、人間の上に満ちあふれ、時としては事物にまでも及ぶ一つの朗らかな親切であった。司教は何物をも侮蔑《ぶべつ》しなかった。彼は神の造られし万物に対して仁慈であった。人は皆、最善の人といえども、動物に対して思慮なき酷薄さを心中にひそかに有するものである。その酷薄さは多くの牧師に固有なものであるが、ディーニュの司教は少しもそれを持たなかった。もとよりバラモン教の僧侶《そうりょ》ほどに極端ではなかったが、「動物の魂のどこへ行くかを知れる者ありや」という伝道書の言葉を、彼は深く考えたのであるように思われる。その外貌《がいぼう》の醜悪も、その本能の不具も、彼をわずらわさず彼をいら立たせなかった。彼はそれに感動させられ、ほとんど心をやわらげられた。彼は深く考えに沈みながら、その醜怪の原因や説明や弁明を表面の生のかなたにさがし求めんとするがようであった。時としては変更を神に求むるがようであった。彼は怒りの念もなく、古文書を判読する言語学者のごとき目をもって、自然のうちになお存する多くの混沌《こんとん》たるものを観察した。その夢想は時として彼の口から不思議な言語を発せさせるのであった。ある朝、彼は庭に出ていた。彼は自分一人だと思っていた、自分のうしろに妹が歩いていたのを気づかなかったのである。突然、彼は歩みを止めて、地上に何かを見つめた。それは毛のはえたまっ黒な恐ろしい大|蜘蛛《ぐも》であった。妹は彼がこう言うのを聞いた。「かわいそうなものだ! それも彼自身の罪ではない。」
 慈愛深きことほとんど神のようなそのかわいげな言葉をどうしてしるさずにおかれよう。小児らしいと言ってもよい。しかしその崇高な小児らしさは、アッシシの聖フランチェスコやマルクス・アウレリウスなどのそれと同じものであった。ある日彼は一匹の蟻《あり》を踏みつぶさないようによけたために足を挫《くじ》いたこともあった。
 そのようにしてこの正しき人は生活していたのである。時として彼は庭で眠ることもあったが、その時の彼の姿ほど尊いものはなかった。
 その青年時代やまたは壮年時代について伝
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