その目的に到達せる者に、即座にしかも歓呼してこれを与える。ある公証人が代議士となり、ある似而非《えせ》コルネイユがティリダートを書き、ある宦官《かんがん》が後宮を所有し、陸軍のあるプルュドンムが偶然に一時期を画すべき決定的勝利を得、ある薬種商がサンブル・エ・ムーズの軍隊のためにボール紙の靴底《くつぞこ》を発明し、それを皮として売り出して四十万リーヴルの年金を得、ある行商人が高利貸しの女と結婚して二人の仲に七、八百万の金を出産させ、ある説教者がその鼻声のために司教となり、ある家の執事がその役を止《や》むる頃には大なる富者となって大蔵大臣になされるなど、世人はそれを呼んで天才と言う。あたかも彼らがムスクトンの顔を美なりと称し、クロードの風采《ふうさい》を尊厳なりと称すると同一である。天空の星座と軟《やわら》かき泥地に印するあひるの足跡の星形とを、彼らは混同するのである。

     十三 彼の信仰

 ローマ正教の見地よりすれば、われわれはディーニュの司教を検校してみるの要を持たない。彼がごとき魂の前においては、われわれはただ尊敬の念を感ずるのみである。正しき人の良心はそのままに信ぜられなければならない。その上、ある種の性質が提出さるる時、われわれは、われわれと異なる信仰の中においても、人間の徳のあらゆる美が発展し得るものであることを認めるのである。
 司教は甲の信条についてどう考えていたか、また乙の秘蹟《ひせき》についてどう考えていたであろうか。しかしそのような内心の信念の奥秘は、人の魂があらゆる衣をぬぎすててはいりゆく墳墓によって知らるるのみである。ただ吾人に確かであることは、信仰上の難事に会っても彼はかつてそのために偽善に陥ることがなかったということである。金剛石にはいかなる腐敗もあり得ない。彼はでき得《う》る限り信仰のうちに身を投じ、われ父なる神を信ず[#「われ父なる神を信ず」に傍点]と、しばしば叫んだ。その上、彼はおのれの善行のうちより良心に必要なだけの満足をくみ取り、汝神とともにあり[#「汝神とともにあり」に傍点]と、低くささやく声を自らきいた。
 ここにしるさなければならないと思われることは、言わば信仰の外に、そして信仰のかなたに司教が過度の愛を有していたことである。自己主義が衒学癖《げんがくへき》の合言葉となるようなこの悲しき時代の用語を用うれば、彼が「
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