台所《だいどころ》のいちばんうす暗い片隅《かたすみ》で、自分の小さな椅子《いす》に坐《すわ》って、夜になりかかっているのに、何《なに》を考えるともなくぼんやり夢想《むそう》している時でも――彼はいつも、口《くち》を閉《と》じ、頬《ほほ》をふくらし、唇《くちびる》をふるわして、つぶやくような単調《たんちょう》な音《おと》をもらしていた。幾時間《いくじかん》たっても彼はあきなかった。母《はは》はそれを気にもとめなかったが、やがて、たまらなくなって、ふいに叱《しか》りつけるのだった。
 その半《なか》ば夢心地《ゆめごこち》の状態《じょうたい》にあきてくると、彼は動《うご》きまわって音《おと》をたてたくてたまらなくなった。そういう時には、楽曲《がっきょく》を作《つく》り出して、それをあらん限《かぎ》りの声《こえ》で歌った。自分の生活《せいかつ》のいろんな場合《ばあい》にあてはまる音楽をそれぞれこしらえていた。朝、家鴨《あひる》の子のように盥《たらい》の中をかきまわす時の音楽《おんがく》もあったし、ピアノの前の腰掛《こしかけ》に上って、いやな稽古《けいこ》をする時の音楽も――またその腰掛《こしか
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