、おのれの夢想にたいする揺《ゆる》がない絶対の信頼などをもつことを、子供たちのために喜んでいた。彼らと地位を代わることは、望みもしなかったしまたできもしなかった。けれども彼は、グラチアの憂鬱《ゆううつ》とオリヴィエの不安とは子供たちのうちに慰安を見出してるだろうと考え、これでよいのだと考えていた。
 ――私や私の友人たちや、もっと以前に生きてた多くの人たちなど、われわれが、皆で苦しんできたところのものはすべて、この二人の子供を喜びに到達させんがためにであった……。この喜び、アントアネットよ、汝《なんじ》こそはそれにふさわしかったが、それを受けることができなかった!……ああ不幸な人々が、犠牲にしたおのれの生活から他日出てくるその幸福を、前もって味わうことができるならば!
 どうして彼はその幸福に異議をもち出し得よう? 人は他人が自分と同じ流儀で幸福ならんことを望んではいけない。彼ら自身の流儀で幸福ならんことを望まなければいけない。クリストフはジョルジュとオーロラとに向かって、自分のように彼らと同じ信仰を分かちもっていない人々をあまりに軽蔑《けいべつ》してはいけないと、ただそれだけを穏やかに求めたばかりだった。
 二人は彼と議論するの労をもとらなかった。二人はこう思ってるようなふうだった。
「この人にわかるものか……。」
 彼らにとっては彼はすでに過去のものだった。そして彼らは過去を大して重要視してはいなかった。あとになってクリストフが「もういなくなった」ときにはどうしようかと、そんなことをなんの気もなしに内緒で話し合うことさえあった。――それでも彼らは彼を深く愛していた……。人の周囲に葛《かずら》のように伸び出してるひどい子供たち! 人を押しやり追い払ってるその自然の力!……
 ――立ち去れ、立ち去ってしまえ! そこを退《ど》け! 俺《おれ》の番だ!……
 クリストフは彼らの無言の言葉を聞きとって、こう言ってやりたかった。
 ――そんなに急ぐものではない! 私はここでいい気持だ。まだ私を生きてる者としてながめてくれたまえ。
 彼は二人の無邪気な横柄さを興深く思った。
「すぐに言ってごらん、」と彼はある日二人の軽蔑《けいべつ》的な様子にまいらされながら温良そうに言った、「すぐに私に言ってごらん、老いぼれた馬鹿者だと。」
「いいえ、そんなこと。」とオーロラは心から笑いながら言った。「あなたはいちばんりっぱな人よ。でもあなたが知らないことだってあるわ。」
「そしてお前は何を知ってるんだい? お前の豪《えら》い知識を見ようじゃないか。」
「私をからかっちゃいや。私は大して知ってやしないわ。でもあの人は、ジョルジュは、知っててよ。」
 クリストフは微笑《ほほえ》んだ。
「なるほど、そのとおりだ。愛する相手の者は、いつでも物を知ってるよ。」
 彼にとっては、彼らの知的優越に承服することよりも、彼らの音楽を辛抱することのほうがいっそう難事だった。彼らは彼の忍耐力をひどく悩ました。彼らがやって来るとピアノの音が絶えなかった。ちょうど小鳥にたいするように、恋愛は彼らの囀《さえず》りを眼覚《めざ》めさしたらしかった。しかし彼らは小鳥ほど巧みにはなかなか歌えなかった。オーロラは自分の才能を買いかぶってはいなかった。しかし許婚《いいなずけ》の男の才能にたいしてはそうではなかった。ジョルジュの演奏とクリストフの演奏との間になんらの差も認めなかった。おそらくジョルジュのひき方のほうを好んでたかもしれない。そしてジョルジュは、その皮肉な機敏さにもかかわらず、恋人の信念にかぶれがちだった。クリストフはそれに反対はしなかった。意地悪くも娘の意見に賛成した(が時にはたまらなくなって、少し強く扉《とびら》の音をさせながらその場を去ることもあった。)彼はジョルジュがトリスタン[#「トリスタン」に傍点]をピアノでひくのを、情愛と憐《あわ》れみとのこもった微笑を浮かべながら聞いた。人のよいこの青年は、トリスタン[#「トリスタン」に傍点]のたいへんな曲をひくのに、親切な感情に満ちてる若い娘に見るような愛すべきやさしさと、熱心な注意とをもってひいた。クリストフは一人で笑った。なぜ笑うかを彼に言いたくなかった。そして彼を抱擁してやった。そのままの彼を愛していた。おそらくそのためにいっそう愛していたのだろう……。憐れなる子供よ!……おう芸術も空なるかな!……

 彼は「自分の子供たち」――(彼は二人をそう呼んでいた)――のことをしばしばエマニュエルと話した。ジョルジュを好きだったエマニュエルは、よく冗談に言った、クリストフはジョルジュを自分に譲るべきだ、クリストフにはすでにオーロラがあるからと、そしてすべてを独占するのは公平でないと。
 二人はあまり人中に出なかったけれど、二人の
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