ずしてる君の元気をくだらないことに浪費するような、馬鹿げた真似《まね》をしてはいけない。君は(安心するがいいよ)その元気の使い道ができてくる時代にいるのだ。」

 ジョルジュはクリストフが言ってきかせることを大して頭に止めなかった。彼はクリストフの思想を受け入れるくらいには十分うち開けた精神をもっていたが、しかしその思想ははいってすぐにまた逃げ出してしまった。彼は階段を降りきらないうちにすべてを忘れてしまった。それでもやはり安楽な印象を受けていて、原因を忘れはてたずっとあとまでもその印象は残っていた。そしてクリストフにたいして一種崇敬の念を覚えた。彼はクリストフが信じてる事柄を何一つ信じてはいなかった。(根本的に言えば、彼はすべてをあざけって何物をも信じなかった。)しかし彼は自分の老友クリストフの悪口をあえて言う者があれば、其奴《そいつ》の頭を打ち破ったかもしれない。
 幸いにして彼へクリストフの悪口を言う者はなかった。そうでなくても、彼は他にたいへんなすべき仕事が多かった。


 クリストフは近く嵐《あらし》が吹き起こるのを予見していた。若いフランス音楽の新たな理想は彼の理想とはたいへん異なっていた。しかしそのためにクリストフはその音楽にたいしていっそう同情を寄せたが、その代わり向こうでは彼にたいしてなんらの同情をも寄せなかった。彼が世間にもてはやされてることは、それら青年らのうちの飢えたる者と彼とを和解させる助けにはならなかった。彼らは腹中に大したものをもってはいなかった。それだけにまた彼らの牙《きば》は長くて鋭かった。クリストフは彼らの邪悪さに驚きはしなかった。
「彼らはなんと一生懸命に噛《か》みつくことだろう!」と彼は言った。「全身|歯牙《しが》となっている、小人どもが……。」
 でも彼らよりももっと彼の嫌《きら》いな小犬どもがいた。彼が成功してるからといって諂《へつら》ってくる者ども――オービネのいわゆる、「一匹の犬がバタ[#「一匹の犬がバタ」に傍点]壺《つぼ》に頭をつっ込むと祝賀のためにその[#「に頭をつっ込むと祝賀のためにその」に傍点]髭《ひげ》をなめに来る[#「をなめに来る」に傍点]」者どもであった。
 彼はオペラ座に一つの作品を採用された。採用されるや否やすぐ下稽古《したげいこ》にかけられた。ところがある日クリストフは、新聞紙の攻撃文によって、彼の作を上演するために、すでに決定していたある若い作曲家の作品が無期延期になった、ということを知った。記者はそういう権力の濫用を憤慨して、クリストフに責《せめ》を負わしていた。
 クリストフは劇場の支配人に会って言った。
「君は僕に前もって知らせなかったですね。そんなことがあってはいけない。僕のより前に採用した歌劇《オペラ》をまず上演してほしいものです。」
 支配人は驚きの声を立て、笑い出し、申し出を拒み、クリストフの性格や作品や才能などをやたらにほめたて、若い作曲家の作品を極度に貶《けな》して、なんらの価値もなく鐚《びた》一文にもならないものだと断言した。
「ではなぜそれを採用したんですか。」
「思いどおりのことができるものではありません。時には一般の意見に満足を与えるような様子もしなければなりませんからね。昔は、若い連中がいくら怒鳴ってもだれ一人耳を貸しませんでした。けれど今では、われわれに対抗して国家主義の新聞紙を狩り集める方法を、彼らは考えついています。あいにくと彼らの若い一派に惚《ほ》れ込まないときには、裏切りだの有害なフランス人だのと怒鳴らせるんです。若い一派、どうです……私の意見を申しましょうか。彼らには悩ませられますよ。公衆もそうです。彼らの御祈祷[#「御祈祷」に傍点]にはつくづく嫌《いや》です……。血管の中には一滴の血もないし、ミサを歌ってきかせるちっぽけな堂守です。彼らが恋愛の二重奏を作ると、まるで深き[#「深き」に傍点]淵《ふち》より[#「より」に傍点]の悲歌みたいです……。採用を迫らるる作をみな上演するほど馬鹿な真似《まね》をしたら、劇場はつぶれてしまうでしょう。採用はします。そしてそれだけでもう彼らには十分です――。くだらない話はよしましょう。ところであなたの作は、きっと大入りですよ……。」
 そしてお世辞がまた始まった。
 クリストフは相手の言葉をきっぱりさえぎって、憤然として言った。
「僕はそんなことに瞞着《まんちゃく》されはしません。僕が老人になり相当な地位に達した今となって、君は僕を利用して若い人たちを押しつぶそうとしています。僕が若かったときには、君は僕を彼らと同様に押しつぶそうとしたでしょう。その青年の作を上演してもらいましょう。さもなくば僕は自分の作を撤回します。」
 支配人は両腕を高くあげて言った。
「もし私どもがお望みどおりの
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