虫じゃありません。」とジョルジュは憤然と抗弁した。「私どものうちには一人も弱虫はいません。」
「自分を恐《こわ》がってるようじゃ弱虫に違いない。」とクリストフは言った。「なんだって、君たちは秩序を一つ求めていながら、それを自分たちだけで作り出すことはできないのか。昔のお祖母《ばあ》さんたちの裾《すそ》にすがりつきに行かなくちゃならないのか。どうだい、自分たちだけで歩いてみたまえ。」
「根を張らなくちゃいけないよ……。」とジョルジュは当時の俗謡の一節を得意げにあげた。
「根を張るためには、樹木はみな鉢《はち》に植えられる必要があるのかね? 皆のために大地があるじゃないか。大地に根をおろしたまえ。自分自身の掟《おきて》を見つけたまえ。それを自分自身のうちに捜したまえ。」
「私にはその隙《ひま》がないんです。」とジョルジュは言った。
「君は恐がってるんだ。」とクリストフは繰り返した。
ジョルジュは言い逆らった。けれどもしまいには、自分の奥底をながめる気がないことを承認した。自分の奥底をながめて楽しみを得られるということがわからなかった。その暗い穴をのぞき込んでるとその中に落ち込むかもしれなかった。
「手を取っててあげよう。」とクリストフは言った。
彼は人生にたいする自分の現実的な悲壮な幻像の蓋《ふた》を少し開いて見せて面白がった。ジョルジュは後退《あとしざ》りをした。クリストフは笑いながら蓋を閉めた。
「どうしてそんなふうに生きてることができるんですか。」とジョルジュは尋ねた。
「僕は生きてる、そして幸福だ。」とクリストフは言った。
「いつもそんなものを見なければならなかったら、私は死ぬかもしれません。」
クリストフは彼の肩をたたいた。
「それでいて剛の者と言うのかね!……じゃあ、もし頭がそれほど丈夫でない気がするなら、見なくってもいいよ。何もぜひ見なくちゃならないということはないからね。ただ前進したまえよ。しかしそれには、家畜のように君の肩に烙印《らくいん》をおす主長がなんで必要なものか。君はどんな合図を待ってるんだい。もう長い前に信号はされてる。装鞍《そうあん》らっぱは鳴ったし、騎兵隊は行進してる。君は自分の馬だけに気を配ればいい。列につけ! そして駆け足!」
「しかしどこへ行くんですか。」とジョルジュは言った。
「君の隊の目ざす所は、世界の征服なんだ。空気を占領し、自然原素を従え、自然の最後の城砦《じょうさい》を打ち破り、空間を辟易《へきえき》させ、死を辟易させるがいい……。
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ダイダロスは虚空を[#「ダイダロスは虚空を」に傍点]窮《きわ》めて[#「めて」に傍点]……
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ラテン語の選手たる君はそれを知っているかい。その意味を説明することくらいはできるだろう。
[#ここから3字下げ]
彼は[#「彼は」に傍点]三途《さんず》の川に侵入せり[#「の川に侵入せり」に傍点]……
[#ここで字下げ終わり]
それが君たちの運命だ。征服者らよ幸いなれ!」
彼は新時代に落ちかかってくる勇壮な活動の義務をきわめて明らかに示したので、ジョルジュはびっくりして言った。
「でも、もしあなたがそれを感じてるんでしたら、なぜ私どもといっしょにはならないんです?」
「僕にはほかに仕事があるからだ。さあ、君の事業をなすがいい。できるなら僕を追い越したまえ。僕はここに残って見張りをしている……。君は、山のように高い鬼神が箱の中に入れられてソロモンの封印をおされたという話を、千一夜物語[#「千一夜物語」に傍点]の中で読んだことがあるだろう……。その鬼神はここに、僕たちの魂の底に、君がのぞき込むのを恐れてるこの魂の底にいるのだ。僕や僕の時代の人たちは、その鬼神と戦うことに生涯《しょうがい》を費やしてきた。僕たちのほうが打ち勝ちもしなかったし、鬼神のほうが打ち勝ちもしなかった。今では、僕たちと彼とはどちらも息をついている。そしてたがいに顔を見合わしながら、なんらの怨恨《えんこん》も恐怖も感ぜずに、なしてきた戦いに満足して、約束の休戦の期限がつきるのを待っている。で君たちはその休戦期間を利用して、力を回復し、また世界の美を摘み取りたまえ。幸福でいて、一時の静穏を楽しみたまえ。しかし忘れてはいけない。他日、君たちかあるいは君たちの後継者たちは、征服から帰ってきて僕がいるこの場所に立ちもどり、僕がそばで見張りをしてるこの者にたいして、新しい力でふたたび戦いをしなければならないだろう。そして戦いはときどき休戦で途切れながら、両者の一方が打倒されるまでつづくだろう。君たちは僕たちより強くて幸福である順番なんだ……。――まあ当分のうちは、やりたかったら運動《スポーツ》もやるがいい。筋肉と心とを鍛えるがいい。そしてむずむ
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