。ローマの帝王的|息吹《いぶ》きが彼の上を吹き過ぎたのだった。彼が多少感染してる当時のパリー芸術と同様に、彼は秩序を追い求めていた。しかしワルシャワにおける秩序をではなかった――自分の睡眠を護《まも》ることに残りの精力を使い果たす、あの疲れた反動保守家らとは異なっていた。それら人のよい連中は、サン・サーンスやブラームスに立ちもどるのである――慰安を求めて、あらゆる芸術のブラームスに、主題の堡塁《ほうるい》に、無味乾燥な新古典主義に。彼らは熱情に欠けてると言ってはいけない。諸君とても、すぐに疲憊《ひはい》してしまうではないか。……否、予が説くのは諸君の秩序をではない。予の秩序は諸君のそれと同様のものではない。予の秩序は、自由なる熱情と意志との調和のうちにある秩序である……。クリストフは自分の芸術のうちに、生のもろもろの力の正しい平衡を維持しようとくふうしていた。鳴り響く深淵《しんえん》からほとばしり出させた、あの新しい和音、あの音楽の魔物、それを彼は用いて、明快な交響曲《シンフォニー》を、丸屋根のあるイタリー大寺院のような広い明るい建築を、うち建てようとしていた。
 そういう精神の働きと戦いとが、冬じゅうつづいた。時とすると夕方、彼は一日の仕事を終えて、日々の総和を顧みながら、それが長い間であったかあるいは短い間であったかみずからわからなかったし、自分がまだ若いのかあるいはごく年老いたのかみずからわからなかった。とは言え、その冬は早く過ぎ去った。

 すると、人間の太陽の新たな光が、夢の覆面を貫いて射《さ》してき、またもや春をもたらしてきた。クリストフはグラチアから手紙をもらって、彼女が二人の子供といっしょにパリーへ来る由を知らせられた。長い前から彼女はその計画を立てていた。従姉《いとこ》のコレットからしばしば招かれたのだった。けれども、自分の習慣を破り、呑気《のんき》な平和を見捨て、愛するわが家[#「わが家」に傍点]を去って、よくわかってるあのパリーの喧騒《けんそう》の中にはいるという、それだけの骨折りを彼女は恐れて、一年一年と旅を延ばしたのだった。ところが、その春はある憂愁に襲われ、おそらくあるひそかな失意を感じて――(およそ女の心のうちには、他人には少しもわからないが、また往々彼女自身もそれと自認しないが、いかに多くの暗黙のロマンスが存在してることだろう!)――彼女はローマから離れたい気になった。流行病の脅威は、子供たちの出発を早めるための口実となった。彼女はクリストフへ手紙を出して幾日もたたないうちに、すぐそのあとを追って出発した。
 クリストフは彼女がコレットの家に到着したことを知るや否や、すぐに会いに行った。彼女の心はまだぼんやりして遠くにあった。彼はそれが辛《つら》かったけれど、様子には現わさなかった。彼はもう今では自分の利己心をほとんど殺していた。そのために心の明察力が生じていた。彼は彼女が隠したがってる悲しみをもってるのを悟った。けれどそれがなんの悲しみであるか知ろうとはしなかった。そしてただ自分の失敗を快活に話したり、自分の仕事や計画を言ってきかしたり、遠慮深く彼女を愛情で包み込んだりして、その悲しみから気を晴らさせようとした。押しつけがましいことを恐れてるその大きな愛情に彼女は心打たれた。自分の悲しみを彼から察せられてることを直覚して心を動かされた。やや憂いに沈んでる彼女の心は、二人に関すること以外の事柄を話してくれてる友の心のうちに身を休めた。そしてしだいに彼は、彼女の眼から憂鬱《ゆううつ》な影が消えてゆくのを見、二人の視線がますます近づいてゆくのを見てとった。……そしてある日……彼は彼女に話をしながら、突然言葉を途切らして、黙って彼女をながめた。
「どうなさいましたの?」と彼女は尋ねた。
「今日、」と彼は言った、「あなたはすっかり私のところにもどって来られたんです。」
 彼女は微笑《ほほえ》んで、ごく低く答えた。
「そうです。」
 落ち着いて話をすることはあまりできなかった。二人きりのときはごくまれだった。コレットは二人が望む以上に始終そばにいた。彼女はいろんな欠点があるにしてもやはりよい人物で、グラチアとクリストフとを心から好きだった。けれど自分が二人の邪魔になっていようとは思いもつかなかった。彼女は彼女のいわゆるクリストフとグラチアとの艶事《つやごと》なるものをよく見てとっていた――(彼女の眼はなんでも見てとった。)そして艶事は彼女の畑だったので、非常に面白がった。ますます勢いづけてやりたかった。しかしそれこそ二人が彼女に求めない事柄だった。無関係なことに干渉してもらいたくなかった。彼女が姿を現わすだけで、あるいは控え目な(出すぎた)言葉で二人のいずれかにその愛情を仄《ほの》めかすだけで、二人は冷や
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