にたどりつくかを予見せずにはいられなかった。彼は多少の皮肉をもって(過去にたいする愛惜も未来にたいする恐怖もなしに)考えた、その歌は歌手が予見していない反響を伴うだろうということを、そして、消え失《う》せた広場の市[#「広場の市」に傍点]の時代を人があこがれる日が来るだろうということを……。あの当時人は実に自由であった。それは自由の黄金時代であった。人はもうけっしてそういう時代を知らないだろう。世界が向かって行きつつある時代は、力と健康と雄々しい活動との時代であり、またおそらく光栄の時代でもあろうが、しかし冷酷な権力と偏狭な秩序との時代であった。その時代を、われわれはいくら希望どおりに、鋼鉄時代、古典《クラシック》時代、と呼んでも詮《せん》ないことだ。偉大なる古典時代は――ルイ十四世もしくはナポレオンの時代は――遠くより見れば人類の絶頂のようにも思われる。そしておそらく国民はその国家的理想をそこにもっともりっぱに実現してるようである。しかしその時代の偉人らになんと考えていたかを尋ねてみるがよい。あのニコラ・プーサンはローマに立ち去ってそこで死んだではないか。彼はこの国では息がつけなかったのである。またあのパスカルやラシーヌは世間に別れを告げたではないか。そして他にももっとも偉大なる人々のいかに多くが、世に合わず迫害せられて孤独な生活を送ったことだろう! モリエールのごとき人の魂の中にも多くの憂苦が潜んでいたではないか。――諸君があれほど愛惜しているナポレオン時代にも、諸君の父祖はみずから幸福だと思いはしなかったようである。そしてナポレオン自身も誤った見解をもってはいなかった。彼は自分の死後に人々がほっと息をつくだろうことを知っていた……。皇帝[#「皇帝」に傍点]の周囲にはいかに思想の沙漠《さばく》が横たわっていたことであるか! それは広漠たる砂原の上に照るアフリカの太陽であった。
クリストフは自分の考えめぐらしてることを少しも口に出さなかった。それとなく匂わせるだけでエマニュエルを怒らせるに足りた。そして彼はもう二度とそれを繰り返さなかった。しかしいかに自分の考えを押えても、エマニュエルは彼がそう考えてることを知っていた。その上クリストフが自分よりも遠くまで見通しておることを朧《おぼ》ろに意識していた。そしてますますいらだつばかりだった。若い人々は、自分の先輩から、二十年後には自分がどうなるだろうかを強《し》いて見させられるのを、許しがたく思うものである。
クリストフはエマニュエルの心中を読み取ってみずから考えた。
「彼にも理由がある。人は各自に信念をもっている。人の信じてることを信じてやらなければいけない。未来にたいする彼の信頼の念を私は乱したくないものだ!」
しかし彼が眼前にいるだけでエマニュエルの心は乱れた。二つの人格がいっしょにいるときには、両者たがいにおのれを潜めようといかに努めても、常に一方は他方を圧迫し、そして他方は屈辱の恨みをいだくものである。エマニュエルの高慢心は、クリストフの経験と性格との優越に苦しめられた。またおそらく彼は、クリストフにたいしてしだいに愛情が生じてくるのを押えてもいたであろう……。
彼はますます粗暴になっていった。扉《とびら》を閉ざしてしまった。手紙をもらっても返事を出さなかった。――クリストフは彼に会うことを断念しなければならなかった。
七月の初めとなった。クリストフはパリーに数か月滞在して、多くの新しい観念を得たが友人をあまり得なかったことどもを、考えまわしてみた。赫々《かくかく》たるしかもばかげた成功だった。弱められもしくは滑稽《こっけい》化された自分の面影を、自分の作品の反映を、凡庸な人々の頭脳の中に見出すこと、それは少しも愉快なことではなかった。そして理解してもらいたい人々からは同感を寄せられなかった。彼らは彼のほうから進んできても受けいれなかった。彼は彼らの希望に自分も加わってその味方の一人になろうといかに願っても、彼らの仲間にはいることができなかった。あたかも彼らの不安な自負心は、彼の友情をしりぞけて彼を敵とするほうを好んでるかのようだった。要するに彼は、時代の流れをやり過ごしてそれとともに移り行かなかったし、またつぎの時代の流れからは好まれなかったのである。彼は孤立していた。そして生涯《しょうがい》それに馴《な》れていたから別段驚かなかった。しかし彼は今や、この新たな試みのあとに、スイスの草廬《そうろ》に立ちもどって、近来ますますはっきりしてきたある計画の実現を待つことにしても、もうさしつかえあるまいと考えた。彼は年を取るに従って、故郷の土地に帰り住みたい願いに悩まされた。もう故郷にはだれも知人はなかったし、この他国の都におけるほどの精神的縁故をも見出し得ないに
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