身はもう枯れてしまっています。ああ、昔の熱情のことを考えてみますと! だれかが言いましたように、それはほんとにいい時でした。私は実に不幸でした! 今では私はもう、不幸であるだけの力ももちません。ただ一筋の細い生命があるばかりです。あえて結婚をしてみるだけの勇気もありません。ああ、昔でしたら、昔でしたら!……私の知ってるどなたかがちょっと合図をしてくだすっていたら!……」
「そしたら、そしたら、言ってください……。」
「いいえ、無駄《むだ》ですわ。」
「で、昔、もし私が……ああ!」
「え、もしあなたが?……そんなことを私は何も申しはしません。」
「私にはわかっています。あなたは残酷です。」
「ただ私は昔狂人でした、それだけのことですわ。」
「それはなおひどい言葉です。」
「ねえあなた、私はあなたを苦しめるようなことは一言も申せないんです。だからもう何にも申しますまい。」
「でも、言ってください……。何か言ってください。」
「何を?」
「何かいいことを。」
 彼女は笑った。
「笑っちゃいけません。」
「そしてあなたは、悲しんではいけません。」
「どうして悲しんではいけないんでしょう?」
「その理由がないんですもの、確かに。」
「なぜです?」
「あなたをたいへん愛してる女の友だちが一人いますから。」
「ほんとうですか。」
「私がそう申すのに、お信じなさらないのですか。」
「それをも一度言ってください。」
「そしたらもう悲しみなさいませんか。それでもう十分におなりになりますか。私たちの貴《とうと》い友情で満足できるようにおなりになりますか?」
「そうせざるを得ません。」
「ほんとに勝手な人ですこと! それであなたは私を愛してるとおっしゃるのですか? ほんとうは、あなたが私を愛してくださるよりも、もっと深く私はあなたを愛していると思いますわ。」
「ああ、もしそうだったら!」
 彼はあまりに愛の利己心に駆られてそう言ったので、彼女は笑った。彼も笑った。彼はなお執拗《しつよう》に言った。
「言ってください……。」
 ちょっと、彼女は口をつぐみ、彼をながめ、それから突然、彼の顔に自分の顔を寄せて、接吻《せっぷん》した。いかにも不意のことだった。それは彼の心にひしと響いた。彼は彼女を両腕に抱きしめようとした。が彼女はもう離れていた。その客間の入り口に立っていて、彼女は彼をながめながら
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