の、呑気《のんき》さの謎《なぞ》のうちには、多くの魅力がこもっていた。しかしクリストフはそれを認め得る気質ではなかった。社交界の人々にグラチアが取り巻かれてるのを見て、彼は腹をたてた。彼らが嫌《いや》になり、彼女が嫌になった。ローマにたいして顔を渋めるとともに、彼女にたいして顔を渋めた。そしてしだいに訪問の数を少なくした。立ち去ってしまおうかと思った。
彼は立ち去らなかった。自分をいらだたしていたイタリー社交界の魅力を、心ならずも感じ始めていた。
当分の間彼は孤独の生活を送った。ローマやその近傍を歩き回った。ローマの光、宙に浮いている庭園、日の照り渡った海で黄金の帯のように取り巻かれてるローマ平野などは、この楽土の秘密をしだいに彼へ示してくれた。彼は死滅した大建築物にたいして軽蔑《けいべつ》を装っていて、それを見に行くために一歩も踏み出すものかとみずから誓っていた。向こうからやって来るのを待つのだと口をとがらしながら言っていた。ところが向こうからやって来た。地面の起伏しているこの都会の中を散歩してると、偶然それらに出会った。別に捜し回りもしないで、夕陽《ゆうひ》を受けてる赤いフォールムを見、深い蒼空《あおぞら》が青い光の淵《ふち》となって向こうに開けてる、パラチーノ丘の半ばくずれてる迫持《せりもち》を見た。また、泥《どろ》で赤く濁ってあたかも土地が歩き出してるようなテヴェレ河のほとり――大洪水《だいこうずい》以前の怪物の巨大な背骨みたいな溝渠《こうきょ》の廃址《はいし》に沿って、広漠《こうばく》たるローマ平野の中をさまようた。厚くかたまってる黒雲が青空の中を流れていた。馬に乗った百姓たちが鞭《むち》を振り上げながら、長い角を生やした銀鼠《ぎんねず》色の大きな牛の群れを、荒れ地を横ぎって追いたてていた。まっすぐな埃《ほこり》っぽい露《あら》わな古い大道の上を、股《また》に毛皮をつけた山羊足《やぎあし》の牧人たちが、低い驢馬《ろば》や子驢馬の列を引き連れて黙々と歩いていた。地平線の奥には、神々《こうごう》しい線をしてるサビーノの山脈の丘陵が展開しており、大空の丸天井の他方の縁には、都会の古い囲壁が、踊ってる像をのせた聖ヨハネ寺院の正面が、その黒い影を投じていた……。静寂……照り渡ってる太陽……。風が平野の上を吹いていた……。腕は結《ゆわ》かれ頭は欠けて雑草の波に打
前へ
次へ
全170ページ中20ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
ロラン ロマン の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング