な、ほどよい高さの政治や芸術が彼らには必要だった。ゴルドーニの怠惰な芝居やマンゾーニの一様にぼやけた光などが、彼らの気にかなっていた。彼らの愛すべき懶惰な心は、そういうものから不安を覚えさせられることがなかった。彼らはその偉大な祖先らのように、「まず生きることである[#「まず生きることである」に傍点]……」とは言わないで、「肝要なのは穏やかに生きることである[#「肝要なのは穏やかに生きることである」に傍点]」と言うに違いなかった。
 穏やかに生きること。それがすべての人々のひそかな願いであり志望であって、もっとも元気|溌溂《はつらつ》たる人々や実際の政治を支配してる人々でさえそうだった。たとえばマキアヴェリの徒弟たる者、自己と他人との主であり、頭と同じく冷静なる心をもち、明晰《めいせき》で退屈してる知能をもっていて、自分の目的のためにはあらゆる手段を用いることを知りかつでき、自分の野心のためにはあらゆる友情をも犠牲にする覚悟でいる者、そういう人も、穏やかに生きる[#「穏やかに生きる」に傍点]という神聖なる一事のためには、その野心をさえ犠牲になし得るのであった。彼らには無為怠慢の長い期間が必要だった。そしてそれから出て来ると、あたかも熟睡のあとのように爽快《そうかい》に元気になっていた。それらの鈍重な男子たち、それらの平静な婦人たちは、談話や快活や社交生活を突然渇望しだすのだった。身振りや言葉や逆説的な頓智《とんち》や滑稽《こっけい》な気分などを振りまいて、自分を消費しなければならなかった。そして道化歌劇《オペラ・ブッファ》を演じていた。このイタリーの人物展覧場の中では、北方において見かけるような、金属性の光を帯びた眸《ひとみ》や、精神の絶えざる労働によって凋《しぼ》んだ顔つきなど、思想の磨滅《まめつ》はめったに見出されなかった。けれども、どこにもあるようにここにもやはり、ひそかに悩んでる自分の傷を隠しているような魂、無関心の下に潜んで麻痺《まひ》の衣を快くまとってる欲望や懸念などが、欠けてはしなかった。それからまた、ごく古い人種に固有な人知れぬ不平衡の徴候たる、人を面くらわせるような奇怪不思議な粗漏が――ローマ平野に開けてる断層のようなものが、ある人々のうちにあるのは言うまでもないことだった。
 一つの悲劇が中に隠れて眠っているそれらの魂の、それらの平静な冷笑的な眼
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