を、彼から窓の前にさし示されたとき、彼女は言った。
「これからどうするかおわかりになりまして? おやつをいただくんですよ。私はお茶とお菓子とをもってきました。そんなものはあなたのところにないだろうと思ったものですから。それからまだ他にもって来たものがありますよ。あなたの外套《がいとう》をかしてくださいね。」
「私の外套をですか。」
「ええ、ええ、かしてください。」
 彼女は袋から針と糸を取り出した。
「なんですって、あなたは……?」
「先日私が危《あぶ》ないと思ったボタンが二つありましたわ。今日はどうなっていますかしら?」
「なるほど、私はまだそれを付け直そうとも思わなかったんです。嫌《いや》な仕事なものですから。」
「お気の毒にね! かしてくださいよ。」
「恥ずかしい気がします。」
「お茶の用意をしてくださいよ。」
 彼は彼女に一瞬間も無駄《むだ》にさせまいと思って、湯沸かしとアルコールランプとを室の中に運んできた。彼女はボタンを縫いつけながら、彼の無器用な仕事を意地悪く横目でながめていた。二人は罅《ひび》のはいった茶|碗《わん》でお茶を飲んだ。彼女はひどい茶碗だとは思ったが容赦してやった。しかしそれはオリヴィエとの共同生活の名残りだったので、彼はむきになって大事にしていた。
 彼女が帰って行こうとするときに、彼は尋ねた。
「あなたは私を嫌《いや》に思ってはいられませんか。」
「なんで?」
「こんなに散らかっていますから。」
 彼女は笑った。
「これからは片付けることにします。」
 彼女が出口へ行って扉《とびら》を開きかけようとしたとき、彼はその前にひざまずいて、彼女の足先に唇《くちびる》をあてた。
「何をなさるんです?」と彼女は言った。「気違いね、かわいい気違いさん! さようなら。」

 彼女は毎週きまった日にやって来ることとなった。もう突飛な真似《まね》をしないということ、もうひざまずいたり足に接吻《せっぷん》したりしないということを、彼に約束さしておいた。いかにもやさしい静安さが彼女から発していて、クリストフは気分の荒立っているときでさえ、それにしみじみと浸された。そして彼は一人でいると、しばしば熱烈な情欲で彼女のことを考えたけれど、二人いっしょになると、いつも仲のよい友だちという調子になった。彼女を不安ならしむるような言葉も身振りも、かつて一つとして彼から
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