で、当時もっとも生き上がってた実行運動の光景にひかされ吸いつけられたのだった。
その光景のうちでもっとも彼の興味をひくことの少なかったものは、有産階級の理論家どもであった。それらの樹木が実《みの》らす果実はたいてい干乾《ひから》びていた。生命の液汁はことごとく観念となって凝結していた。クリストフはそれらの観念の間に見分けがつかなかった。観念が体系的に凍りついてしまうときには、もう自分の観念にたいしてさえ、愛好を覚えなかった。彼はおとなしい軽蔑《けいべつ》の念をもって、力の理論家たちにも弱さの理論家たちにも共に加わらなかった。あらゆる芝居の中において、もっとも損な役目は理屈家のそれである。観客は理屈家よりも、同情をひく人物をばかりでなく敵《かたき》役の人物をさえ好むものである。この点においてはクリストフも観客の一人だった。社会問題の理屈家らは、彼には嫌味《いやみ》なものに思われた。しかし彼は他人を観察して面白がっていた。信じてる人々や信じたがってる人々、だまされてる人々やだまされたがってる人々、なおまた、肉食獣のような仕事をしてるりっぱな海賊ども、毛を刈らるるためにできてる羊ども、など
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