いた。しかし晩になると、いっしょに音楽をやる習慣がついた。やがては午後にもやりだした。そして日ごとにますます募っていった。いつも同じ不可解な熱情が、初めの和音からすぐに彼女をとらえ、頭から足先まで彼女を燃えたたせ、そして音楽がつづいてる間、このつつましい中流婦人を、倨傲《きょごう》なヴィーナスの神となし、人の魂のあらゆる激情の化身《けしん》となした。
 ブラウンは、アンナが突然声楽に熱中しだしたのを驚いたが、そういう女の出来心を説明しようとするだけの労をとらなかった。彼はいつもその小音楽会に臨席し、頭で拍子をとり、自分の意見を述べ、まったく喜びきっていた。それでも実は、もっとやさしい音楽を好んでいた。そんなに力を費やすのは誇張のように思われた。クリストフは空気中に或《あ》る危険を嗅《か》ぎ取っていた。しかし彼は眩暈《めまい》がしていた。通過してきた危機のために弱っていて、抵抗する力がなかった。自分のうちにどういうことが起こってるかを意識しなかったし、アンナのうちにどういうことが起こってるかを洞見《どうけん》しなかった。ある日の午後、熱狂的な情緒に満ちあふれながら、彼女は楽曲の途中で歌い
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