中にじっと縮こまってることは、僕にはできない。中流人どもの中にいると息がつけない。」
クリストフほど要求多い肺臓をもっていなかったオリヴィエは、自分の狭い住居と二人の女友だちの静穏な仲間とで満足していた。とは言え、二人の女友だちの一人のアルノー夫人は、今では慈善事業に没頭していたし、も一人のほうのセシルは、子供の世話にばかり心を向けて、もう子供の話しかしないし、また子供としか話をしないで、しかもその調子は、小鳥のような子供の声音を真似《まね》て、形の定まらないその囀《さえず》りを人間の語調に直そうとする、浮き浮きしたおどけたものだった。
労働者階級の間を通りぬけるうちに、オリヴィエは二人の知人を得ていた。二人とも彼と同じく独立者であった。一人はゲランという経師《きょうじ》屋だった。気まぐれな勝手な働き方をしていたが、しかし非常に器用だった。自分の職業を好んでいて、美術品にたいして生まれつき趣味をもち、観察や勤勉や博物館見物などでその趣味を発達さしていた。オリヴィエは彼に古い家具を一つ繕ってもらったことがあった。その仕事は困難なものだったが、彼は巧みにやってのけた。多くの苦心と時間とを費やしたのだが、オリヴィエにはわずかな謝礼をしか要求しなかった。それほど彼は仕事の成功に満足していた。オリヴィエは彼に興味を覚えて、身の上をいろいろ尋ね、労働運動について彼がどう考えてるかを知りたがった。しかしゲランは労働運動については何にも考えていなかった。そんなことを気にかけていなかった。彼は労働階級に属していなかったし、またいずれの階級にも属していなかった。彼はただ彼だった。彼は書物をあまり読んでいなかった。その知的教養はすべて、パリーの真の民衆に生来そなわってる、官能と眼と手と趣味とででき上がっていた。彼は仕合わせな人間だった。そういう型の人物は、労働階級の中流者には珍しくない。そしてこの労働中流階級こそ、国民のうちのもっとも賢明なる種族である。なぜなら、手工と精神の健全な活動との間のりっぱな平衡を実現してるからである。
オリヴィエのも一人の知人は、いっそう独特な人物であった。それはユルトゥルーという郵便集配人だった。背の高い好男子で、清らかな眼、どちらも金|褐《かっ》色の口|髭《ひげ》と小|頤髯《あごひげ》、あけっ放しの快活な様子をしていた。ある日書留郵便をもってオリヴィエの室にはいって来た。オリヴィエが署名してる間に、彼は書棚《しょだな》の書冊をのぞき込みながら表題を見て回った。
「ははあ、」と彼は言った、「古典をおもちですね……。」
そして言い添えた。
「私はブールゴーニュに関する歴史の古本を集めています。」
「君はブールゴーニュの人ですか。」とオリヴィエは尋ねた。
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「豪気なブールゴーニュ人
剣を横たえ
顎髯《あごひげ》生やし
跳《は》ねよブールゴーニュ人。」
[#ここで字下げ終わり]
と郵便集配人は笑いながら答えた。「私はアヴァロンの者です。一二〇〇年ごろからの家系やなんかをもっていますよ。」
オリヴィエはちょっと気をひかれて、もっと知りたくなった。ユルトゥルーはもとより話したがっていた。彼は実際、ブールゴーニュのもっとも古い家柄の一つに属していた。先祖のうちには、フィリップ・オーギュストの十字軍に加わった者も一人あった。また他の一人は、アンリ二世の下の国務大臣だった。十七世紀からしだいに一家は衰微してきた。大革命のときに、一家は没落して民衆の潮の中に沈み込んだ。そして今ようやく、郵便集配人ユルトゥルーの正直な勤労と肉体精神の強健とによって、また己《おの》が種族にたいする彼の忠実さによって、水面に浮かび上がってきたのだった。彼の最上の楽しみは、自分の一家やその故郷に関する歴史的および家系的記録を集めることだった。休みのときには文書館へ古い書類を写しに行った。自分にわからないことがあると、古典学校やソルボンヌ大学などの懇意な学生のところへ行って説明してもらった。彼は著名な先祖のことにも眼を回しはしなかった。不幸な運命にたいする聊《いささか》の不満も示さず、笑いながら先祖のことを話した。彼は見るも愉快なほどの無頓着《むとんじゃく》な強健な快活さをそなえていた。幾世紀かの間なみなみと流れ、幾世紀かの間地下に隠れ、つぎにまた、新しい精力を地底で回収して湧《わ》き出してくる、種族の生の神秘な消長のことを、オリヴィエは彼をながめながら考えた。そして民衆なるものは、過去の河流が流れ込んで見えなくなり、また、名前は違うが往々にして同じものである未来の河流が流れ出してくる、一つの巨大な貯水池であるかのように、オリヴィエには思われたのだった。
ゲランとユルトゥルーとは、オリヴィエの気に入る人物だった。しかし彼らは
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