的な反発の念でレーネットから遠ざかった。立ち止まりもせず顔を伏せてその家の前を通り過ぎた。そして野良犬のように、不安心な心持で遠くをうろついた。それからまたやって来るようになった。彼女はいかにも一人前の女ではなかった……。寝間着のような長い仕事着をつけてる製本女工ら――飢えた眼つきで通りがかりの人の肉体まで見通す、あの笑い好きな大娘たち――その間を印刷工場からの帰りに、できるだけ身を縮こめて通りぬけるとき、いかに彼はレーネットの窓のほうへ逃げ寄って来たことだろう! 彼は相手の娘が不具者であることをありがたがっていた。彼女に向かい合うと、自分のほうがすぐれてるような様子をすることができたし、保護者らしい様子をさえすることができた。街路の出来事を話してきかせ、自分をりっぱな地位に置いて話をした。時とすると、洒落《しゃ》れた気持になって、冬は焼栗《やきぐり》や夏は一つかみの桜実などを、レーネットへもって来た。彼女のほうでは、店先の二つのガラス器にいっぱいはいってる種々な色のボンボンを、少し彼に与えた。そして二人はいっしょに絵葉書をながめたりした。それは楽しい時間だった。彼らは二人とも、自分の幼い魂を閉じこめてる悲しい肉体のことを忘れるのだった。
 しかし二人はまた、政治や宗教などのことを大人《おとな》のように話しだすこともあった。すると彼らは大人と同様に馬鹿になった。やさしい理解は破れた。彼女は奇跡や九日|祈祷《きとう》や、紙レースで縁取った信仰画像や、贖宥《しょくゆう》のことなどを話した。彼は祖父から聞いたとおりに、そんなことは馬鹿げた虚偽なものだと言った。そしてこんどは彼が、祖父に連れて行かれた公衆の会合のことなどを話そうとすると、彼女は蔑《さげす》むようにそれを遮《さえぎ》って、その人たちはみな酔っ払いだと言った。会話は苦々しくなっていった。そして自分の身内の者のことになった。一人は相手の母親のことについて、一人は相手の祖父のことについて、祖父や母親が言ってる悪口をくり返した。つぎには自分たちのことになった。たがいに不愉快な事を言い合おうとつとめた。訳なくそれができた。彼はもっとも乱暴なことを言った。が彼女はもっとも意地悪い言葉を見つけ出すことができた。すると彼は帰っていった。またやって来ると、他の娘たちと遊んだとか、その娘たちは皆きれいだとか、いっしょに大笑いをしたとか、つぎの日曜にもいっしょに遊ぶはずだとか言った。彼女はなんとも言わなかった。彼の言ってることを軽蔑《けいべつ》するようなふうをした。それから突然怒りだして、編み針を彼の頭に投げつけ、帰ってゆけと怒鳴り、大嫌《だいきら》いだと叫んだ。そして両手に顔を隠した。彼は帰っていった。が自分の勝利を得意とする心にもなれなかった。彼女の痩《や》せた小さな手を顔からのけて、今のはほんとうのことではないと言いたかった。しかし高慢の念から、ふたたびやって行くまいとつとめた。
 ある日、レーネットの仇《あだ》は報ぜられた。――彼は印刷工場の仲間たちといっしょにいた。彼らは彼を好かなかった。なぜなら、彼は仲間はずれの態度をとっていたし、また口をきかなかったし、口をきくおりにはあまりにうますぎて、事もなげな気障《きざ》な調子で、あたかも書物、というよりむしろ新聞の論説のようだった――(彼は新聞の論説なんかをうんとつめ込んでいた。)――その日、彼らは革命だの未来の時勢だののことを話しだしていた。彼は興奮しきって滑稽《こっけい》なほどになった。一人の仲間が手荒く彼に呼びかけた。
「第一貴様なんかに用はねえ、あまり醜様《ぶざま》すぎるからな。未来の社会にはもう佝僂《せむし》なんかはいねえよ。佝僂が生まれりゃすぐに水に放り込んじまうんだ。」
 そのために彼は、雄弁の絶頂からころがり落ちた。ぎくりとして口をつぐんだ。他の者は大笑いをした。その午後じゅう彼は歯をくいしばっていた。夕方家に帰りかけた。片隅《かたすみ》に隠れて一人で苦しむために、帰るのを急いだ。途中でオリヴィエが彼に出会った。オリヴィエはその土色の顔つきにびっくりした。
「君は苦しんでるね。どうしたんだい?」
 エマニュエルは話したがらなかった。オリヴィエはやさしい言葉でしつこく尋ねた。少年は頑固《がんこ》に口をつぐんでいた。しかし今にも泣き出そうとしてるかのように頤《あご》が震えていた。オリヴィエはその腕を執って自分の家に連れていった。彼もまた、醜悪や病気にたいしては、慈恵団の尼さんみたいな魂をもって生まれたのではない人々が皆いだく、一種本能的な残忍な嫌悪《けんお》の情を覚えはしたが、それを少しも外に現わしはしなかった。
「いじめられたのかい?」
「ええ。」
「どんなことをされたんだい?」
 少年は心中をうち明けた。自分の醜いことを
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