の主君を求める君たちの心底には、君たちの弱さが隠れているのだ。力は光のごときものである。それを否定する者は盲目だ。理論も捨て暴力も捨て、平然として強者になりたまえ。植物が日光のほうへ向くと同じに、弱者の魂はことごとく君たちのほうへ向くだろう……。」
 しかし、政治上の議論に時間を空費する隙《ひま》はないと抗弁しながらも、彼はその外見ほど政治に無頓着《むとんじゃく》ではなかった。彼は芸術家として社会の不安を苦しんでいた。熱情が一時欠乏するおりには、自分の周囲を見回して、だれのために自分は書いてるのかとみずから疑うことがあった。すると彼は、現代の芸術の悲しむべき顧客を、かの疲れてる優秀者や享楽的な有産者らを、眼に浮かべた。そして考えた。
「ああいう人々のために働いてなんの利益があろう?」
 もちろん彼らのうちには、教養があり、人の技能に敏感であって、精練された感情の新しさやあるいは古風さ――(二つとも同じことである)――を味わうことさえもできるような、すぐれた精神の人々が欠けてはいなかった。しかし彼らは感情が鈍っていて、あまりに知的であまりに生気に乏しかったので、芸術の現実性を信ずることができなかった。彼らは遊戯にしか――音響の遊戯もしくは観念の遊戯にしか、興味を覚えなかった。大部分の人々は他の世間的な興味に気をひかれており、「必要」でもない雑多な仕事に心を分かつのに慣れていた。芸術の表皮の下まで見通してその隠れたる心臓を感ずることは、彼らにはほとんど不可能だった。彼らにとっては、芸術は肉と血とでできてるものではなかった。それは単に文学だった。彼らの批評家らは、彼らが享楽主義から脱する力のないことを、理論に――もとより頑迷《がんめい》な理論に、仕立て上げていた。たまたま幾人かの人が、芸術の力強い声に共鳴するほど鋭敏であることがあっても、その人々にはそれを堪えるだけの力がなくて、実生活にたいしては調子の狂った者となるのだった。いずれにしても、神経病者か中風患者かばかりだった。こういう病院の中に、芸術はいったい何をしにやって来たのか?――それでも近代の社会では、芸術はそれらの不具廃疾者なしには済ませられなかった。なぜなら、彼らは金銭や新聞雑誌をもっていたから。ただ彼らばかりが、芸術家に生活の方法を安全ならしめてやることができるのだった。それゆえつぎの屈辱に甘んじなければなら
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