百人いるかいないかである。他の者らはみな、信じてると思ってるばかりであり、あるいは信じたがってるばかりである。
 革命家の多くも同様であった。善良なカネーも自分を革命家だと信じたがっていた。それでそうだと信じていた。そして自分自身の大胆さにおびえていた。

 それらの有産者らは皆、種々の原則に拠《よ》っていた、ある者は自分の心に、ある者は自分の理性に、またある者は自分の利益に。そしてその考え方を、福音書に則《のっと》ってる者もあり、ベルグソンに則ってる者もあり、その他、カール・マルクスやプルードンやジョゼフ・ド・メーストルやニーチェやジョルジュ・ソレルなど種々だった。流行により当世好みによって革命家となってる者もあれば、粗暴な気質によって革命家となってる者もあった。実行の要望によって、勇壮の熱誠によって、そうなってる者もあった。従属性によって、付和雷同の精神によって、そうなってる者もあった。しかし皆、みずから知らずして、風に吹きなびかせられてるのだった。それは塵埃《じんあい》の渦《うず》巻きであって、白い大道の上に遠く煙のように見えていて、突風の襲来を告げ知らしていた。

 オリヴィエとクリストフとは、風が来るのをながめていた。二人ともりっぱな眼をもっていた。しかし二人は同様の見方をしてはいなかった。オリヴィエは、その清澄な眼で人の下心をも洞見《どうけん》したので、人々の凡庸さに悲しみを覚えた。しかし彼はまた、人々を奮い起《た》たせてる隠れたる力をも認めた。そして事物の悲壮な光景にますます心打たれた。クリストフのほうはいっそう、人の滑稽《こっけい》な様子に敏感だった。彼が興味を覚えるのは人間についてであって、少しも観念についてではなかった。彼は観念にたいしては蔑視《べっし》的な無関心さを装っていた。彼は社会的理想郷をあざけっていた。反抗的な精神から、また、当時流行の病的な人道主義にたいする本能的な反動から、彼は実際以上の利己的な態度を示していた。自分で自分をこしらえ上げた人間であり、自分の筋肉と意志とを慢《ほこ》ってる強健な立身者たる彼は、みずから少しも力をもっていない人々を、やくざ者だと見なしがちであった。貧しくて孤独でいながら、彼は打ち勝つことができたのだった。他の人々も同様にするがよい……。社会問題だと! いったいいかなる問題ぞ? 貧困か?
「僕は貧困をよく知
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