せられた。「君たちは僕をどこへ連れて行くのか、」とは彼もあえて尋ね得なかった。しかし、自分の首の骨を折ることばかりを好んでいて、また同時に他人の首の骨をも折るようになるかもしれないことなどは気にもかけないでいる、それらの人々の傍若無人な様子を、彼は心の中でののしっていた。――でも、だれがいったい彼について来いと強《し》いたか? 彼らの仲間を脱するのは彼の自由ではなかったか。ただ彼には勇気が欠けていた。彼は一人きりでいるのが恐《こわ》かった。途上で後方に取り残されて泣き出す子供のようだった。彼も多くの人々と同様だった。多くの者は自分でなんらの意見ももたない。もしもってるとすれば、熱烈な意見にはことごとく不賛成であるということくらいなものである。しかし独立するには、一人きりでいなければならないだろう。そして幾何《いくばく》の人にそれができるか? 同じ時代の万人の上にのしかかってくる、ある種の偏見や仮定の束縛から脱するだけの胆力をもってる者が、もっとも聡明《そうめい》なる人といえども幾人あるであろうか? それは言わば、自己と他人との間に城壁を築くことである。一方には沙漠《さばく》の中の自由、そして他方には、人間たち。彼らは躊躇《ちゅうちょ》しない。人間たちのほうを、家畜の群れのほうを、彼らは選ぶ。それは臭くはあるがしかし暖かい。そこで彼らは自分の考えてもいない事柄を考えてるようなふうをする。彼らにとってはそれは困難ではない。彼らは自分の考えてることをよく知ってはいない……。
「汝自身を知れ[#「汝自身を知れ」に傍点]!」……だが、ほとんど自我をもっていない彼らにどうしてそれができよう。宗教的なあるいは社会的なあらゆる集団的信仰のうちで、ほんとうに信じてる者は稀《まれ》である。なぜならほんとうに人間である者が稀だから。信仰は一つの勇壮な力である。古来信仰の火に燃やされたものは、わずかな人間の松明《たいまつ》にすぎない。その松明でさえも往々にして明滅しかける。使徒らや予言者らやイエスでさえも、疑惑をいだいたことがあった。その他のものは反映にすぎない――がただ、人の魂が乾燥しきってるある時期には、大きな松明から落ちた少しの火の粉が、全平原を焼きつくす。それから火事が消える。そしてもはや、灰の下に炭火が輝いてるのしか見えなくなる。キリストを実際に信じてるキリスト教徒は、わずかに数
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