なおいっそう確かめたかった……。ああ、ある日などは、彼がそばにいるゆえに、彼女は色|蒼《あお》ざめる心地がし両手が震えた。そして自分の激情をわざとあざけってみ、他の事柄に心を向けてるふうを装い、ほとんど彼のほうをもながめないふりをした。皮肉な口のきき方をした。しかし突然それがつづけられなくなった。自分の居室に逃げ込んだ。そして扉《とびら》をすっかり閉《し》め切り、窓掛をおろして、じっとすわったまま、両|膝《ひざ》をきっと寄せ、両|肱《ひじ》を引っ込めて腹に押しあて、腕を胸に組みながら、心の動悸《どうき》を押えた。そのままじっと思いを潜めて、堅くなり息を凝らした。ちょっと動いても幸福が逃げてゆきそうで、身動きもできなかった。そして彼女は無言のうちに自分の身体に恋を抱きしめた。
今ではもうクリストフは、オリヴィエに成功させようと夢中になっていた。母親みたいに彼の世話をやき、その身装《みなり》に注意してやり、服のつけ方をいろいろ教えようとしたり、襟《えり》飾りを――(どうしてだか)結んでやりまでした。オリヴィエは辛抱して、なされるままにしておいた。クリストフのそばを離れて階段で、その襟飾りを結び直せば済むことだった。彼は微笑《ほほえ》んでいた。しかし友の深い愛情には心を動かされた。そのうえ彼は、恋のために臆病《おくびょう》になっていて、自分に確信がなかったから、進んでクリストフへ助言を求めた。ジャックリーヌを訪問したときの模様を話した。クリストフも彼と同じように感動していた。時とすると夜半に幾時間もかかって、友の恋路を平らにする方法を考えめぐらした。
パリー近郊の、イール・アダンの森のほとりのちょっとした土地に、ランジェー家の別邸があった。この別邸の広庭のなかで、オリヴィエとジャックリーヌとは、彼らの一生に関する話を交えたのだった。
クリストフも友について行った。しかし彼は家の中にハーモニュームを見つけて、それを演奏しながら、恋人同志を平和に散歩さしておいた。――実を言えば二人はそれを望んでいなかった。二人きりになるのを恐れていた。ジャックリーヌは黙っていて、多少敵意を見せていた。すでにこの前の訪問のときオリヴィエは、彼女の様子の変わったこと、にわかの冷淡な素振り、よそよそしい酷《きつ》いほとんど反抗的なある眼つきを、感じたのだった。そしてぞっとさせられていた。彼はあえて彼女に訳を尋ねかねた。愛する者から残酷な言葉を受けはすまいかと、あまりに恐れていた。それでクリストフが遠のくのを見てぎくりとした。クリストフがそばにいてくれさえしたら、自分に落ちかかろうとしてる打撃を受けずにすみそうだった。
ジャックリーヌはやはりオリヴィエを愛してるのだった。前よりはずっと愛していた。そのためにかえって敵意を含んでる様子になっていた。先ごろ彼女がもてあそんでいた恋愛は、あんなに呼び求めていた恋愛は、今や彼女の前にあった。それが深淵《しんえん》のように足下に開けてくるのを見て、彼女は恐れて飛びしざった。もう訳がわからなかった。みずから怪しんだ。
「なぜかしら、なぜかしら? どうしたというのだろう?」
そこで彼女はオリヴィエをじっとながめた。オリヴィエはその眼つきに苦しめられた。彼女は考えた。
「この人はだれかしら?」
彼女にはわからなかった。
「どうして私はこの人を愛してるのかしら?」
彼女にはわからなかった。
「私はこの人を愛してるのかしら?」
それもわからなかった……。彼女にはいっさいわからなかった。それでも自分が熱中してることだけはわかっていた。恋にとらわれてるのだった。恋のうちに身を滅ぼしかかっていた。意志も独立も自我も未来の夢も、ことごとくこの怪物の中にのみ込まれて、自分のすべてを滅ぼしかかっていた。そして憤然と全身を引きしめていた。彼女は時とするとオリヴィエにたいして、ほとんど憎しみに近い感情を覚えた。
二人は庭のはずれの野菜畑まで行った。幕のように立ち並んだ大木がそこを芝地から隔てていた。二人は小径《こみち》のまん中を小刻みに歩いていった。径の両側には、赤黄い房《ふさ》をつけたすぐりの草むらや苺《いちご》の苗床が並んでいて、その香《かお》りが空中に満ちていた。ちょうど六月のことだったが、たびたびの雷雨に冷え冷えとした気候だった。空はどんより曇って、日の光が半ばかげっていた。低い雲が風に運ばれ一塊《ひとかたま》りとなって重々しく動いていた。その遠くの激しい風は、少しも地上に達していなかった。木の葉一枚揺るがなかった。大きな憂鬱《ゆううつ》さが事物を包み込み、二人の心を包み込んだ。そして庭の奥から、眼に見えない別邸の半ば開いてる窓から、ヨハン・セバスチアン・バッハの変ホ短調の遁走《とんそう》曲を奏してるハーモニュームの響
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