。そしてもう他のことを考えてるでしょう……。あなただって、他の芸術家たちを理解していて? がとにかく、あなたは理解されてやしないことよ。あなたがいちばん愛してる人たちでさえ、どれほどあなたから遠く離れてることでしょう! あなたはトルストイのことを覚えていて?……」
 クリストフはトルストイに手紙を書いたことがあった。トルストイの書物に感激したのだった。その民衆のための物語の一つを音楽に移したいと思って許可を求め、自分の歌曲集[#「歌曲集」に傍点]を送ってやった。ゲーテはシューベルトやベルリオーズからその傑作を送られても返事を出さなかったが、トルストイも同様、クリストフへ返事をくれなかった。彼はクリストフの音楽を演奏さしてみた。そして癪《しゃく》にさわった。何にもわからなかった。彼はベートーヴェンを敗徳漢だとしシェイクスピヤを香具師《やし》だとしていて、その代わりに、気取ったつまらない作家を喜び、丁髷《ちょんまげ》王を感心させるクラヴサンの音楽などを喜んでいたのだ。そして小間使の告白[#「小間使の告白」に傍点]をキリスト教的な書物だと思っていたのだ……。
「偉大な人々はわれわれを必要としてはいないのだ。」とクリストフは言った。「それより他の人々のことを考えなければいけない。」
「だれのことを?……人生を包み隠す影となってる、あの凡俗な公衆のことをなの? あんな人たちのために演じたり書いたりし、あんな人たちのために一生を棒にふるなんて! まあなんという厭《いや》なことでしょう!」
「なあに、」とクリストフは言った、「彼らにたいしては僕も君と同じ考えだ。それでも別につまらない思いはしない。彼らは君が言うほど悪いものではない。」
「あなたはまったく楽観的ね。パングロス先生だわ。」
「彼らだって僕と同じく人間なんだ。どうして僕を理解しないということがあろう?――そして、たとい彼らが僕を理解してくれなくても、それで僕は絶望するものか。あれら無数の人々のうちには、僕と心を共にするような人が、常に一、二人はいるだろう。それで僕には十分だ。外界の空気を呼吸するには一つの軒窓で十分だ……。あの無邪気な観客たちのことを、若者たちのことを、誠実な年老いた魂たちのことを、考えてもみたまえ。彼らは君が示してやる悲壮な美に接すると、自分の凡庸な日々を超脱するじゃないか。また子供のおりの君自身を思い起こしてみたまえ。かつて人が自分になしてくれた幸福と善とを他人に――たとい一人にでも――なしてやるのは、いいことではないか。」
「あなたはそういう人がほんとに一人でもいると思っていて? 私はもう疑わないではおれなくなったのよ……。それに、私たちを愛してくれる者のうちでいちばんよい人たちでさえ、どういうふうに私たちを愛してくれてるでしょうか。どういうふうに私たちを見てくれてるでしょうか。いけない見方をしてはしないでしょうか。人を辱《はずかし》めるような賞賛の仕方をしてるわ。どんな大根役者が演ずるのを見ても、やはり同じようにうれしがってるわ。軽蔑《けいべつ》すべき馬鹿者と同様に私たちを取り扱ってるわ。あの連中の眼には、成功しさえすればだれでも同じものに見えるのよ。」
「それでも、皆のうちでもっとも偉大な人々こそ、もっとも偉大な人として、後世に残るものだ。」
「それは距離のせいよ。山は遠くなるほどなお高く見えるものよ。そういう人たちの偉さはよくわかるけれど、それだけ遠く離れてるわけだわ……。それにまた、彼らこそもっとも偉い人たちだとだれが言えるでしょう? その他のもう死んでしまってる人たちについては、あなたは何を知っていて?」
「そんなことはどうでもいい!」とクリストフは言った。「僕がどんなものであるかを、だれも感じてくれなくても、僕はやはり僕だけのものだ。僕は自分の音楽をもっている、それを愛している、それを信じている。その音楽こそすべてのものよりいっそう真実なのだ。」
「あなたはまだ、自分の芸術のなかでは自由で、なんでも勝手なことができるわ。けれど私は何ができるでしょう? 人からあてがわれたことを演じなければならないし、それを厭《いや》になるほど繰り返さなければならないのよ。アメリカの役者たちは、リップ[#「リップ」に傍点]やロベール[#「ロベール」に傍点]・マケール[#「マケール」に傍点]を何千回となく演じ、二十五年間もつまらない役をくり返してるそうですが、私たちはフランスでは、まだそれほどの馬鹿げた状態にはなっていない。けれどその途中にあることは確かだわ。芝居って惨《みじ》めなものよ。観客が持ち堪えることのできる天才と言えば、ごく少量の天才ばかり、髯《ひげ》をそり爪《つめ》をきり毛をぬき香水をふりまいた流行型の天才ばかり……。『流行型の天才』だって、笑わせるじゃな
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