ツの古い歌曲《リード》の実質となってるもののような、日々の思想や行為に関連する美しい詩的な原文を、彼はオリヴィエから得たがっていた。聖書の短い断片やインドの詩、宗教的なあるいは道徳的な叙情小曲、自然のちょっとした画幅、恋愛的なあるいは家庭的な情緒など、単純健全な心の人たちのための朝や夕や夜の詩を求めていた。一つの歌曲《リード》には四行から六行くらいの詩句で十分である。もっとも単純な表現でよろしい。巧妙な展聞も精緻《せいち》な和声《ハーモニー》もいらない。君たち耽美《たんび》家の熟達せる技能が何になろう? 君たちは僕の生を愛してほしい。僕を助けて僕の生を愛させてほしい。フランスの日常[#「フランスの日常」に傍点]を、僕の非凡な時[#「非凡な時」に傍点]や平凡な時[#「平凡な時」に傍点]を、僕のために書いてくれたまえ。そして、もっとも明快な旋律的楽句を求めようではないか。現代の多くの音楽家の音楽に見るような、一階級だけの方言にすぎないその芸術的な言葉を、極端に避けようではないか。「芸術家」としてではなく、人間として話すだけの勇気をもたなければいけない。僕たちの父祖がなしたところを見たまえ。万人の用いる音楽的形式への復帰から、十八世紀末の古典派の芸術は生まれてきたのだ。グルックや交響曲《シンフォニー》の創造者たちや歌曲《リード》の大家たちなどの旋律的楽句は、ヨハン・セバスチアン・バッハやラモーなどの精緻なあるいは巧妙な楽句に比べると、時として平凡な市井的なものと思われることがある。けれどそういう地質こそ、偉大なる古典派らの味わいや広い名声を作り出したのだ。もっとも単純な音楽形式から、歌曲《リード》から、歌芝居《ジンクシュピール》から、彼らは出発したのだ。それら日常生活の小さな花が、モーツァルトやウェーバーなどの連中の幼年時代にしみ込んだのだ。――君たちも同様にしたまえ。すべての人のための歌を書きたまえ。そうした上で、交響曲《シンフォニー》を築き上げるがいい。一足飛びにやったって何になろう? ピラミッドは頂から作り始めるものではない。君たちの現今の交響曲《シンフォニー》は、胴体のない頭ばかりである。おう才人たちよ、一身を具現したまえ。民衆と親和する音楽家らの気長い世代が必要なのだ。一つの音楽芸術は一日にして建設されるものではない。
クリストフは、そういう理論を音楽に通用す
前へ
次へ
全170ページ中54ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
ロラン ロマン の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング