ヘ、知力と勇ましい熱情とに燃えたち、周囲の酷薄な環境に苦しめられ、おのが民族を向上せしめおのが民族によって世界を向上せしめんと、身をささげて尽瘁《じんすい》し、みずから自分の身を疲憊《ひはい》さし、四方から自分自身を焼きつくし、樹脂の炬火《たいまつ》のようにしばらくのうちに燃えつくしているが、彼の友もその一人だった。その炎はこの小ヴェールの無情無感を温めてくれた。彼が生きてた間は、ヴェールも、その救世主的な魂があたりに光被している信念の円光――学問や精神力や未来の幸福などにたいする信念の円光――に包まれて、彼と並んで歩いていた。しかしその魂から一人この世に置きざりにされた後には、弱い皮肉なヴェールは、その理想主義の高みからすべり落ちて、ユダヤ人の知力の中に存在しその知力を常にのみつくさんとしてる、伝道書の砂地にはいり込んでしまった。しかし彼は、友と共に光明のうちに過ごしたときのことをけっして忘れなかった。ほとんど消えてしまってるその光明の輝きを、大事に心のうちにしまっていた。彼はその友のことを、だれにも話したことがなく、愛してる妻にも話さなかった。それは神聖なのだった。そして、人からは乾燥した心の俗人だと思われ、もう生涯《しょうがい》の終わり近く達してる、この老人は、古代インドのバラモン教徒の寂しいやさしい思想を、ひそかにみずから繰り返していた。

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 世界の毒樹は、生の泉の水よりも甘き、二つの果実を作り出しぬ。その一は詩にして、一は友情なり。
[#ここで字下げ終わり]

 それ以来彼はクリストフとオリヴィエとに同情を寄せた。二人の気位の高いのを知って、最近出版されたオリヴィエの詩集をひそかにモークから届けてもらった。そして、二人の友になんらの奔走もさせないで、また自分の企てを少しも知らせないようにして、いろいろ骨折ったあげく、その詩集にある学芸院《アカデミー》の賞金を得さしてやった。その賞金は、二人がたいへん困ってるときにおりよく手にはいった。
 クリストフは、その意外の援助が、今まで悪く思いがちだった男から来たのを知ったとき、その男についていろいろ言ったり考えたりしたことを後悔した。そして、人を訪問することの厭《いや》さを無理に押えて、礼を言いに行った。が彼の殊勝な意志は報いられなかった。老ヴェールはクリストフの若々しい感激に接すると、例の皮肉さをいかに隠そうとしても押えきれなかった。そして二人はなかなか理解し合えなかった。
 クリストフは、ヴェールを訪問したあと、感謝といらだちとを覚えながら、自分の屋根裏の部屋にもどって来たが、ちょうどその日、オリヴィエへ新しい仕事をもって来てくれてる善良なモークから、リュシアン・レヴィー・クールの筆になった、彼の音楽に関するありがたくない雑誌記事を見せられた。それは明らさまの非難ではなかったが、侮辱的な親切から書かれたもので、巧妙な揶揄《やゆ》によって、彼が忌みきらってる三、四流の音楽家のうちに、彼を列して喜んでいた。
「見たまえ、」とクリストフは、モークが帰った後オリヴィエに言った、「僕たちはいつもユダヤ人どもを相手に、ユダヤ人どもばかりを相手にしてるじゃないか。こんなふうでは僕たちまでユダヤ人になってしまいそうだ。そうじゃないか。僕たちはいつもユダヤ人どもをひきつけてると言われたってしかたない。僕たちの行く手にはどこにも、敵となり味方となってユダヤ人どもばかりいる。」
「それは彼らが他の者より知力すぐれてるからだ。」とオリヴィエは言った。「自由な精神の人が新しい事や生きた事柄を語り得る相手は、われわれのうちではほとんどユダヤ人らばかりなんだ。他の者どもは、過去のうちに、死んだ事物のうちに、じっと閉じこもっている。があいにくその過去は、ユダヤ人らにとっては存在しない、あるいは少なくとも、われわれが考えるのと同様なものではない。彼らを相手にしては、われわれは今日のことしか話すことはできない。ちょうど、同民族の者らとわれわれが過去のことしか話し得ないのと同じだ。あらゆる事柄におけるユダヤ人の活動を見てみたまえ、商業に、工業に、教育に、学問に、慈善事業に、芸術に……。」
「芸術のことは措《お》こうじゃないか。」とクリストフは言った。
「僕は彼らがなすことにいつも同感してると言うのじゃない。往々|嫌悪《けんお》の情さえ覚ゆることがある。が少なくとも、彼らは生きているし、生きてる人々を理解し得るのだ。われわれは彼らなしに済ましてゆくことはできない。」
「大袈裟《おおげさ》なことを言うなよ。」とクリストフは嘲《あざけ》り顔に言った。「僕はユダヤ人なしにやってゆけるよ。」
「おそらく生きてはゆけるだろうよ。しかし君の生命や君の作品が、だれにも知られずに終わったら、それがなんの役にたつだろうか。そしてユダヤ人らがいなかったら、たぶんそれは知られずに終わるだろう。われわれを助けに来てくれるものは、われわれの同宗教者たちだろうか。カトリック教は、その血縁のもっともすぐれた人々を、少しも保護しようとはせずに滅ぶるに任している。魂の底からして信仰してる人たち、神を守るために一生をささげてる人たち、そういう人々はすべて――もし彼らが大胆にカトリックの教則から離れローマの権力から脱した暁には――自称カトリックの卑しい多衆からは、ただに冷淡であるばかりでなくまた敵意ある者と見なされる。そして多衆は彼らのことには口をつぐみ、彼らを共通な敵の餌食《えじき》としてしまう。また、自由精神の人は、いかに偉大な人であろうとも――もし彼が心からのキリスト教徒でありながらも服従的なキリスト教徒でない場合には――もっとも純なる真に聖なる信仰を彼が体現していることも、カトリック教徒らにとってはなんの重きもなさない。その人は羊の群れに属する者ではなく、自分自身で考えることをしない盲目|聾唖《ろうあ》の信者ではない。それゆえ彼は人々から好んで打ち捨てられ、ただ一人で苦しみ、敵から引き裂かれ、同胞の助けを呼び求めながら、同胞の信仰のために死んでゆく。実に今日のカトリック教のうちには、殺害的な懶惰《らんだ》の力が存在している。今日のカトリック教は、それを覚醒《かくせい》さしそれに生命を与えんとする人々よりも、敵のほうをいっそう容易に容赦するかもしれない……。ねえクリストフ、少数の自由な新教徒とユダヤ人とがいなかったら、民族的にはカトリック教徒であり自身では自由人となってるわれわれは、いったいどうなるであろうか、何をすればいいのであろうか。ユダヤ人らは今日のヨーロッパにおいては、あらゆる善悪のもっとも長命な代表者である。彼らは思想の花粉をやたらにもち回っている。君は最初の悪い敵と最初の友とを、彼らのうちに見出しはしなかったか。」
「それはまったくだ。」とクリストフは言った。「彼らは僕を励まし支持してくれ、理解してることを示しながら戦う者に元気をつける言葉を、僕にかけてくれた。もとよりそれらの友のうちで、長く僕に忠実だった者はごく少ない。彼らの友情は藁火《わらび》にすぎなかった。それでも結構だ。闇夜《やみよ》の中ではその一時の光もありがたい。君の言うことは道理だ。忘恩者ではありたくないものだ。」
「ことに愚昧《ぐまい》者ではありたくないものだ。」とオリヴィエは言った。「いちばん古い枝を少しく切り落とすのだと称しながら、すでに病弱なわれわれの文明の幹を痛めたくないものだ。もし不幸にも、ユダヤ人らがヨーロッパから追われるならば、ヨーロッパはそのために知力と活動とが貧しくなって、全然崩壊してしまうかもしれない。ことにわれわれのうちにあっては、フランスの活動力の現今のような状態では、ユダヤ人らを放逐することは、十七世紀における新教徒らの放逐よりも、国民にとっていっそう危険な出血となるかもしれない。――もちろん彼らは現在では、その真価に不相応な地位を占めている。彼らは現今の政治および道徳上の無政府状態に乗じている。生来の趣味からまた好都合なところから、この状態の助長に少なからず力を尽くしている。すぐれた者らはあの敬すべきモークのように、フランスの運命と彼らユダヤ人の夢想とを、不都合にもごく真面目《まじめ》に同一視している。そのユダヤ人の夢想がまた、われわれにとって有益であるよりもむしろ多くは危険だ。しかし、彼らがフランスを自己流にこしらえ上げたがってるからといって、彼らを悪く思ってはいけない。それは彼らがフランスを愛してるからなのだ。たとい彼らの愛が恐るべきものであるとしても、われわれは自分自身を守りさえすればいいし、彼らをわれわれのうちでの本来の地位たる第二流の列に置きさえすればいい。と言って僕は、彼らの民族がわれわれの民族より劣ってると思ってるのではない。――(すべてかかる民族の優劣問題はつまらない不快なことだ。)――しかしながら、われわれの民族とまだ融和していない他の民族が、われわれに何が適してるかをわれわれ以上によく知ってると主張するのは、容認しがたいことだ。その民族がフランスでよくやってゆくことには、異議はない。しかし、フランスをユダヤ国たらしめようと望んではもらいたくない。知力|秀《ひい》でた強固な政府があって、ユダヤ人らをその本来の地位にすえ得るならば、フランスを偉大ならしむるもっとも有用な道具の一つと彼らをなすだろう。そして、われわれのためになると同時に彼らのためにもなるだろう。かかるそわそわした不安定な神経過敏な者らには、彼らをしめくくる法律の必要があり、彼らを制御する強い正しい首長の必要がある。ユダヤ人は女のようなものだ。人から手綱を引きしめられるとりっぱにしてる。しかし向こうが支配する場合には、女にしてもユダヤ人にしても、とてもたまらないことになる。その下に服従する者どもは、それこそ物笑いの種である。」

 クリストフとオリヴィエとは、たがいに愛し合ってはいたけれど、また愛のためにたがいの魂にたいする直覚力を得てはいたけれど、それでも、おたがいによく理解のできない、おたがいに気を悪くさえするような、いろんなことが存在していた。友にもっとも似寄った自分の部分だけを存続させようと努力する友情の初期のうちは、二人ともそのことに気づかなかった。ところがやがて少しずつ、両民族の面影が表面に浮かび出てきた。二人はときどき気持の些細《ささい》な齟齬《そご》を感じ、たがいの愛情をもってしてもそれを避けることができなかった。
 二人は誤解のうちに迷い込んだ。オリヴィエの精神は、信念と自由と熱情と皮肉と普遍的疑惑との混合したもので、クリストフはその形体をとらえ得なかった。オリヴィエのほうでは、クリストフの心理の欠乏に不満だった。彼の知的な古い民族の貴族性は、クリストフの、強健ではあるが鈍重で融通がきかず、自己分析ができず、他人からも自分からも欺かれてる精神の、頓馬《とんま》さ加減を笑っていた。その感傷性、騒々しい感情表白、たやすい感動、などもまたオリヴィエに、ときとすると厭《いや》な気を起こさしたり、軽い滑稽《こっけい》の念をさえ起こさせることがあった。そのうえ、力にたいするある種の崇拝については、すぐれた拳固《げんこ》道徳、もっとも強きものの権利[#「もっとも強きものの権利」に傍点]にたいするドイツ流の確信については、オリヴィエや彼の民衆は、それを信じ得られないりっぱな理由をもっていた。
 また、クリストフはオリヴィエの皮肉にしばしば立腹するほどいらだたせられて、それに我慢ができなかった。その理屈癖、不断の分析、ある一種の知的不道徳性、などにも我慢ができなかった。この知的不道徳性は、オリヴィエのごとく道徳的純潔を熱望してる者にあっては驚くべき事柄であった。その源は、あらゆる否定を拒む彼の知力、相反する思想を見渡して喜ぶ彼の知力、その知力自身の広さのうちにあった。オリヴィエは事物を、一種歴史的な全景《パノラマ》的な見地からながめていた。すべてを理解したいとの念から、可否の両面を同時に見ていた。人が彼の前でその一方
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