音楽家が父祖の陣営にうずくまり、過去の勝利を墻壁《しょうへき》として世界の進化をとどめんとしてる間に、世界は常に進みつづけていた。フランス人らは先頭に立って発見の道に突進していた。彼らは芸術の遠い領土を、消滅した太陽や輝き出した太陽を、探究していた。幾世紀もの長い眠りの後に、広大な夢に満ちてる大きなつぶらな眼を、ふたたび光明に向かって見開いてる極東や、または消え失《う》せてるギリシャなどを、探究していた。古典的な秩序と理性との才能によって開通されてる西欧の音楽のうちに、古い流行の水門を引き開けていた。そして、通俗的な旋律《メロディー》や律動《リズム》、異国的な古い音階、あるいは新しいあるいは改新された種々の音程など、世界のあらゆる水を、ヴェルサイユの池に引き入れていた。それより以前に印象派の画家たち――光におけるクリストファー・コロンブスら――が新しい世界を人の眼に開いてやったのと同じように、今やこの音楽家たちは、音の世界を征服しようと熱中していた。聴覚の神秘な深みのかなり奥まではいり込んでいた。その内海の中に新しい陸地を発見していた。だがなかなか彼らは、それらの征服を何かの役にたて得そうにもなかった。彼らは例によって世界の給養者にすぎなかった。
クリストフはこのフランス音楽の進取の気に感嘆した。昨日再生したばかりなのに、今日はすでに芸術の前衛として進んでいた。その華美な細そりした身体のうちにいかに大なる勇気があったことだろう! クリストフはその音楽のうちに先ごろ見てとっていた愚昧《ぐまい》さにたいしても、寛大とならざるを得なかった。けっして誤ることのないのは何事もなさない者ばかりである。生きたる真理のほうへ邁進《まいしん》する誤謬《ごびゅう》は、死んだ真理よりもいっそう豊饒《ほうじょう》である。
その結果はいかがであろうとも、実に驚くべき努力であった。最近三十五年間になされた仕事を、一八七〇年以前のむなしい眠りからフランス音楽を脱せしめんために費やされた精力の量を、オリヴィエはクリストフに示してやった。音楽の学校も、深い教養も、伝統も、大家も、聴衆も、何もなかったのだ。ただベルリオーズ一人のみだったがそれさえ呼吸困難と倦怠《けんたい》とに死にかかっていたのだ。そして今やクリストフは、国民を向上させるために働いた人々にたいして、尊敬の念を感じた。彼らの審美眼の狭小なことやまたは天才の欠乏をさえも、後はもはやとがめようとは思わなかった。彼らは一つの作品よりもさらに大きなものを、音楽的民衆を、創《つく》り出したのであった。新しいフランス音楽を鍛え上げた、それらの偉大なる労働者らのうちでも、ことにある一人の姿が彼にはなつかしかった。それはセザール・フランクの姿だった。育て上げた勝利を見ずに死んだフランクは、あたかも老シュルツのように、フランス芸術のもっとも暗澹《あんたん》たる時代の間に、自分の信仰の宝と民族の天才とを、おのれのうちに完全に保有していたのである。困窮と軽蔑《けいべつ》された労働との生活のうちに、忍耐強い魂の不変の清朗さを失わず、その諦《あきら》めの微笑で温良に満ちた作品を照らしていた、この天使のごとき楽匠が、音楽の聖者が、享楽的なパリーのまん中にいたことは、心打たるる光景だった。
フランスの深い生活を知らないクリストフにとっては、無信仰な民衆のさなかにこの信仰ある大芸術家がいたことは、ほとんど奇跡に近い現象と思われた。
しかしオリヴィエは静かに肩をそびやかした。清教徒たりしフランソア・ミレーに匹敵するほど、聖書《バイブル》の息吹《いぶ》きに満たされていた画家が、また明快なパストゥールほど、熱烈謙譲な信仰に貫かれていた学者が、ヨーロッパのいかなる国にいたかと反問した。――パストゥールこそは、無窮という観念の前には平伏し、その思想を奪われるときには、彼自身で言ってるとおり、「将《まさ》にパスカルの崇高な狂暴にとらわれんとしかかって、理性に宥恕《ゆうじょ》を求めながら、痛切な苦悩に陥った」のだった。確実な歩行で、一足も他にそれずに、「第一歩の自然界、極微なるものの大なる暗夜、生命の生まれ出てくるもっとも深い生物の深淵《しんえん》、」その中を彷徨《ほうこう》してる彼の、熱烈な理性にとっては、ミレーの雄々しい写実主義にとってと同じく、カトリック教ももはや邪魔物とはならなかった。そしてこのミレーやパストゥールは実に、田舎《いなか》の民衆の間から現われてきて、田舎の民衆の中から信仰を汲《く》みとったのだった。そういう信仰は常にフランスの土地に潜んでいて、煽動《せんどう》政治家らの弁舌によってもけっして打ち消されないものだった。オリヴィエはその信仰をよく知っていた。彼は胸の中にそれをになってるのであった。
二十五年前から行
前へ
次へ
全84ページ中15ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
ロラン ロマン の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング