に傍点]」が。
クリストフが心ひかれたのはその平穏だった。彼がオリヴィエの眼の中に認めたのはそれだった。オリヴィエは人の魂を見てとる直覚力をそなえていた。すべてのものに開かれ、何物も否定せず、何物も憎まず、寛大な同情で世界を観照する、広い精緻《せいち》な精神的好奇心をそなえていた。貴重な天稟《てんぴん》であって、常に新しい心で永遠の新味を味わわせる、清新な眼をそなえていた。自由で広大で崇高な心地がするその内的世界のうちにあると、彼は自分の弱さや肉体の苦悩を忘れはてた。今にも消滅せんとしてる悩ましい身体を、一種皮肉な憐《あわ》れみをもって遠くからながめるのは、多少の楽しみでさえあった。かくして、自分の[#「自分の」に傍点]生に執着するの恐れがなく、一般の[#「一般の」に傍点]生にますます熱く執着していた。彼は自分の力を行為のうちに用いないで、愛と知能とのうちに注いでいた。彼は自分の実質で生きるだけの養液をもっていなかった。彼は葛《かずら》であって他物にすがらなければならなかった。自分を投げ出してるときがもっとも充実していた。常に愛し愛されたがってる女性的な魂だった。彼はクリストフのために生まれた者であった。大芸術家の伴侶《はんりょ》であって、その力強い魂から咲き出したように見える、貴族的ないじらしい友とも言えるのだった。レオナルドにおけるベルトラフィオ、ミケランジェロにおけるカヴァリエレ、若いラファエロがもっていたウンブリアの友だち、困窮な老年のレンブラントにながく忠実だったアールト・デ・ヘルデル、それにも等しかった。彼らはその師ほどの偉大さをもってはいないが、師のうちにある崇高純潔なものはみな、いっそう精神化されて彼らのうちにあるがように見える。彼らは実に天才の理想的な道づれである。
二人の友情は二人のためによかった。友があれば生き甲斐《がい》が出てくる。友のために生きるようになり、時の磨滅《まめつ》力にたいして自分の保全をつとめるようになる。
二人はたがいに充実し合っていた。オリヴィエは清朗な精神と病弱な身体とをもっていた。クリストフは強力と落ち着きのない魂とをもっていた。二人は盲者と中風患者とであった。そして今二人いっしょにいると豊饒《ほうじょう》な気がした。クリストフの影に身を置いて、オリヴィエは光にたいする趣味を見出した。クリストフは、悲しみの中や不正や憎悪の中にあってさえ楽天的になりがちな、あふれるほどの活力と心身の頑健《がんけん》さとを、多少オリヴィエのうちに注ぎ込んだ。そしてさらに多くのものをオリヴィエから取り出した。それが天才の法則である。天才はいかに多く与えても、それよりさらに多くのものを常に愛のうちから奪い取る。なぜなら、われは[#「われは」に傍点]獅子《しし》なればなり[#「なればなり」に傍点]だからであり、天才だからである。天才ということは半ばは、自分の周囲の偉大なものを吸い取りそれをさらに偉大になす、ということにある。富は富者に集まると下世話《げせわ》に言われている。力は強者に集まるものである。クリストフはオリヴィエの思想で自分を養った。その落ち着いた知力、超然たる精神、暗黙のうちに理解し見きわめる遠大な見解、などを吸収した。しかし友のそういう長所は、彼のうちに、豊饒な土地に、移植されると、まったく異なった力で生長していった。
二人はたがいに相手のうちに見出されるものに驚嘆していた。彼らはおのおの、これまで自分でも気づかなかった巨大な財宝をもち寄った。それはたがいの民衆の精神的な宝だった。オリヴィエのほうは、フランスの広範な教養と心理的才能とであった。クリストフのほうは、ドイツの内的音楽と自然にたいする直覚力とであった。
クリストフには、オリヴィエがフランス人であることを理解できなかった。オリヴィエは彼が見たどのフランス人にもあまり似寄っていなかった。彼はオリヴィエに会う前には、リュシアン・レヴィー・クールをフランス近代精神の典型だと見なしがちだった。が実は、レヴィー・クールはその漫画にすぎないのだった。そして今、レヴィー・クールよりもいっそう思想的に自由であり、しかもなお純潔であり堅忍である者らが、パリーにもいるということを、彼はオリヴィエの実例によって教えられた。けれど、オリヴィエやその姉はどうもまったくのフランス人ではないと、彼はオリヴィエに証拠だててやりたかった。
「お気の毒だが、」とオリヴィエは言った、「君はフランスについて何を知ってるんだい?」
クリストフは抗弁して、フランスを知るためにいかに骨折ったかを述べたてた。ストゥヴァン家やルーサン家などの集まりで出会ったフランス人を列挙した。ユダヤ、ベルギー、リュクサンブール、アメリカ、ロシア、近東、などの生まれのフランス人や、また
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