チぱいになっていて、戦争を防がなければならないことや、それには兵士らを煽動《せんどう》し反抗させ場合によっては指揮官をも銃殺させるのが上策で、きっとうまくゆくに違いないというようなことを、眼を輝かし落ち着き払って言っていた。技師のエリー・エルスベルゼは、もし戦いが始まったら、自分や自分の友人らは、国内の敵を片付けたあとでなければ国境へ進発しないと、冷やかな勢いで答え返していた。アンドレ・エルスベルゼは、モークの味方をしていた。クリストフはある日、二人の兄弟の恐ろしい喧嘩《けんか》に行き合わした。二人はたがいに射殺してやるとおどかしていた。それらの殺害的な言葉は冗談の調子で発せられてはいたが、しかし二人が言ってることはみな実行の決心があることばかりらしかった。クリストフはこの馬鹿げた国民に驚きの眼を見張った。彼らは常に思想のためには殺害し合うことをも辞せない……。まるで狂人だ。合理的な狂人だ。各人が自分の思想だけを見つめて、一歩も乱さずに最後まで進もうとしている。そしておのずからたがいに絶滅し合っている。人道主義者は愛国主義者と戦っている。愛国主義者は人道主義者と戦っている。その間に敵はやって来て、祖国と人道とを一度に粉砕してしまうだろう。
「いったい君たちは、」とクリストフはアンドレ・エルスベルゼに尋ねた、「他の民衆の無産者らと了解がついているのですか。」
「なあに、だれかが始めなければなりません。そのだれかは、われわれであるべきです。われわれはいつもまっ先でした。合図を与えるのはわれわれの役目です。」
「そしてもし他の人々が歩き出さなかったら?」
「いや歩き出します。」
「君たちには契約とか予定の計画とかいうようなものがあるのですか。」
「なんで契約なんかの必要がありましょう。われわれの力はあらゆる外交術よりもまさっています。」
「いやこれは観念上の問題ではなくて、戦略の問題です。もし君たちが戦争を絶やそうと望むならば、戦争からその方法を借りてくるがいいです。両国内での作戦計画をたてるべきです。一定の日にフランスとドイツとで、君たちの連合軍が其々の行動をすると、きめてかかるべきです。その時々の気まぐれな行動ばかりしていては、なんでりっぱな結果が得られよう。こちらにはただ偶然があるきりで、向こうには組織だった巨大な力が存している――その結果はわかりきっています。君たちはやっつけられるばかりです。」
 アンドレ・エルスベルゼはよく聞いていなかった。彼は肩をそびやかして、漠然《ばくぜん》たる威嚇《いかく》だけで満足していた。一握りの砂でも歯車仕掛けの急所に投ぜらるれば、機械全部をこわすことができる、と彼は言っていた。
 しかしながら、理論的な方法でゆっくり論ずることと、思想を実行に移すこととは、ことにそれを即座に決行しなければならない場合には、まったく別事である……。人の心の底を大きな波濤《はとう》が過ぎる時こそ、痛烈な時期である。人は自分を自由だと思い、自分の思想の主人だと思っている。ところがもう否応なしに引きずり込まれるのを感ずる。ある隠れた意志が人の意志に反対してくる。そのときになって未知の主長[#「主長」に傍点]を、人類の大洋を支配する法則の主体たる不可見の力[#「力」に傍点]を、人は初めて発見する……。
 自分の信念にもっとも堅固でありもっとも確信してる知力ある人々も、その信念が消え去るのを見、決意するのを躊躇《ちゅうちょ》し恐れ、そして往々、思いもかけなかった方向へ決意しては、みずからいたく驚いていた。戦争を攻撃するのにもっとも熱烈だったある人々も、祖国にたいする自負心と熱情とが、突然の激しさで眼覚《めざ》めてくるのを感じていた。クリストフが見た多くの社会主義者らは、また急激な産業革命主義者らまでが、この相反する熱情と義務との間に板ばさみとなっていた。クリストフは、両国の紛議が始まったばかりで、まだ事態の重大さに思い及ばなかったころ、アンドレ・エルスベルゼに、もしドイツからフランスを取られたくなければ、今がちょうど彼の理論を実行すべき時期だということを、ドイツ人流の鈍馬さで言ってみた。すると彼は飛び上がって、憤然として答えた。
「やってごらんなさい!……いわゆる神聖なる社会党が、四十万の党員と三百万の選挙人とを有して控えていながら、あなたたちは、皇帝に口輪をはめて束縛を脱するだけの力もない馬鹿者ばかりだ……。僕たちがそれを引き受けてやりましょう。フランスを取ってみなさるがいい。僕たちはドイツを取ってみせますから……。」
 待つ時期が長引くに従って、すべての人のうちに熱が出てきた。アンドレは悩んでいた。自分の信念が真《まこと》のものであるとわかっていながら、それを擁護することができないのもわかっていた。それから、団結的思
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