翌ヘ寝台の枕頭《ちんとう》にすわった。ちょっと間を置いてから彼女は言った。
「私が今晩この子をみてやりましょう……。」
クリストフはコルネイユ師とともに、自分の階へ上がっていった。牧師は少しきまり悪げに、やって来た弁解をした。やって来たことを死者からとがめられなければよいがと、卑下した言い方をしていた。牧師として来たのではなくて、友人として来たのだと言っていた。
翌朝、クリストフがふたたび行ってみると、自分の気に入った人へすぐに身を託する子供特有の率直な信頼さで娘はジェルマン夫人の首に抱きついていた。娘は新しい味方に引き取られることを承知した……。ああ彼女は早くもその養父を忘れていた。新しい養母へ同じような愛情を示していた。それはあまり安心できる事柄ではなかった。ジェルマン夫人の利己的な愛はこのことに気づいていたであろうか……おそらく気づいたであろう。しかしそれは大したことではない。愛することが肝要だ。幸福はそこにある……。
葬式の数週間後にジェルマン夫人はその娘をパリーから遠い田舎《いなか》へ連れていった。クリストフとオリヴィエとはその出発を見送った。若い夫人はかつて彼らが見かけなかったような、ひそかな喜びの表情を浮かべていた。彼女は彼らになんらの注意も向けなかった。けれども出かけるさいに、彼女はクリストフを見かけて、手を差し出して言った。
「あなたのおかげで救われました。」
「どうしたというんだろう、あんな変な真似《まね》をして?」とクリストフは階段を上がって行きながら、びっくりした様子でオリヴィエに尋ねた。
それから数日たつと、彼は一枚の写真を郵送された。写真には、一人の見知らぬ娘が、腰掛にすわって、小さな手を膝《ひざ》の上に行儀よく組み合わせ、清らかな愁《うれ》わしい眼で彼をながめていた。その下に、つぎのような文句が書いてあった。
――亡くなった私の娘があなたに御礼を申し上げます。
かくてそれらの人の間に、新しい生の息吹《いぶ》きが通っていった。上のほうに、六階の屋根裏に、力強い人間性の炉が燃えていて、その光が徐々に家の中へさし込んでいった。
しかしクリストフは少しもそれに気づかなかった。彼にとってはそれはあまりに緩慢だった。
「ああ、」と彼は嘆息した、「各種の信仰をもち各種の階級に属していて、たがいに知り合うことさえ望んでいないあのりっぱな人たちを、みんな親密にならせることができたらなあ! どうにもしかたがないのかしら。」
「君はどうしようというのか?」とオリヴィエは言った。「君が言うとおりになるには、相互の寛容と同情の力とが必要だろう。そしてそれらが生まれ出てくる唯一の源は、内心の喜びである――健全な順当ななごやかな生活の喜びである――自分の活動力を有益に使ったという喜び、何かある偉大なもののために役だったと感ずる喜びである。そしてそのためには、偉大な時期もしくは――(このほうがなおいいのだが)――偉大へ向かいつつある時期にある、一つの国が必要だろう。それからまた――(これは前者と両立し得るものだが)――あらゆる人々の精力を働かせるすべを心得てる一つの力が、各党派の上に立つべき賢く強い一つの力が、必要だろう。ところが、各党派の上に立つ力と言っては、ただ一つきりない。それは、群集からではなく自分自身から力を引き出すところの力だ。無政府的な多衆に頼ろうとすることなく、おのれの功績によって万人にのしかかってくる力、常勝将軍、公衆の安危の独裁者、知力の最上者……そういう種類のものだ。しかるに、そういうものはわれわれの関知するところではない。必要なのは、機会が生ずることであり、機会をとらえ得る人々が現われることである。必要なのは幸運と天才とである。待ちそして希望をかけようじゃないか。力はあるのだ。古いフランスと新しいフランスとの、もっとも大なるフランスの、信仰と学問と仕事との種々の力が……。いざとなったら、それらの力をことごとく結合して突進させる謎《なぞ》の言葉が発せられたら、いかに大なる進展力となることだろうか! もとよりその言葉を発し得る者は、君でも僕でもない。だれがそれを発するだろうか? 勝利だろうか、光栄だろうか?……いや、忍耐なのだ! もっとも肝要なことは、民族のうちにあるすべての力強いものが、積もり重なってゆき、みずからおのれを破壊せず、時期が来ない前に意気|沮喪《そそう》しないことだ。幸運と天才とは、多年の堅忍と勉励と信念とによってそれに催し得る民衆にしか、やって来るものではない。」
「どうだか?」とクリストフは言った。「幸運と天才とは、思ったよりも早く――思いもかけないときに、往々やって来るものだ。君たちは長い年月をあまり頭に置きすぎてる。用意しておきたまえ。帯を締め直したまえ。常に靴を足につ
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