すがすがしい声がした。もしその古い建物が、あたかも大地が熱に震えてるかのように、重い馬車の響きにたえず揺られることがなかったら、パリーの町であることを忘れてしまえるほどだった。
一つの室が、他の室より広くて美しかった。二人の友は争ってそれをたがいに譲り合った。籤《くじ》を引かなければならなかった。籤にすることを考えついたクリストフは、悪い知恵を出して、われながら意外だったほど巧妙に、その室が自分の手に落ちないようにしてしまった。
このときから、二人にとってまったく幸福な時期が始まった。その幸福は、ある一定の事柄のうちにあるのではなくて、すべての事柄のうちに同時に存在していた。二人のあらゆる行為と思想とを浸し、一瞬も二人から離れなかった。
二人の友情の新婚期とも言うべき時期の間、
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世界の中に一つの魂を自分のものと呼び得る人……
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のみが知っている、無言の深い喜悦に満ちた最初の時期の間、二人はほとんど口をきかなかった。ほとんど口をきき得なかった。たがいにそばにいることを感じたり、長い沈黙のあとに二人の考えが同じ方向をたどってることを示すような、一つの眼つきや言葉を交えたりするだけで、彼らには十分だった。たがいに何一つ尋ねかけもせず、たがいに顔を見合わすこともしないで、二人はたえずたがいに見守っていた。愛する者は知らず知らずに、愛の相手の魂に則《のっと》るものである。相手の気持を害せず相手の全部でありたいという、ごく強い欲望をもってるので、不思議な急速な直覚力によって、相手の奥底のきわめてかすかな動きをも、すべて読みとってしまう。おたがいに透き通って見える。彼らはたがいにその存在を取り換え合う。顔だちはたがいに真似し合い、魂はたがいに真似し合う――奥深い力が、種属という悪魔が、突然|躍《おど》り出してきて、自分を縛《いまし》めている愛情の外皮を引き裂いてしまう、その日までは。
クリストフは小声で話し、静かに歩き、沈黙がちなオリヴィエの室の隣室で、音をたてまいと用心していた。彼は友情のために様子が変わっていた。かつて見られなかったほどの、幸福と信頼と若さとの表情をしていた。彼はオリヴィエを敬愛していた。オリヴィエは、それを身に余る幸福だとして恥ずかしく思わなかったら、自分の力を濫用して勝手な真似をするのは容易だったろう。が彼はクリストフよりずっと劣ってると自分を見なしていた。クリストフも同様にみずから卑下していた。そしてこの相互の謙譲は、彼らの大きな愛情から来たものであって、さらに一つの楽しみだった。友の心のうちに多大の場所を占めてると感ずることは――それが身に余ることだと意識してもなお――非常にうれしいことだった。そして二人はたがいに、しみじみとした感謝の念を覚えていた。
オリヴィエは自分の書物をクリストフのといっしょにしておいた。もうその間の区別をたてなかった。ある本のことを話すときには、「僕の[#「僕の」に傍点]本」と言わないで、「僕たちの[#「僕たちの」に傍点]本」と言った。そして彼が共同の財産中に交えないで別にしておいた品物は、ごくわずかな数しかなかった。それは皆、姉の所持品だったものか、あるいは姉の思い出を帯びてるものだった。クリストフは愛情から来る敏感さで、間もなくそれに気がついた。しかしその理由は知らなかった。彼はかつてオリヴィエにその両親のことなどを尋ねなかった。もう両親がないことだけを知っていた。そして、愛情の上での多少高ぶった控え目から、友の秘密を探り出すことを避けたうえに、過去の悲しみを友の心に呼び覚《さ》ますことを恐れる懸念もあった。友の身の上を非常に知りたくはあったけれど、ある妙な気遅れから、オリヴィエのテーブルの上にある写真を目近く見調べることさえ、なし得ないでいた。写真に現われてるのは、威儀を正した紳士と貴婦人と、それから、足元にスパニエル種の大きな犬を置いた十二、三歳の少女とであった。
いっしょに住んでから二、三か月後に、オリヴィエは悪寒《おかん》を覚えた。床につかなければならなかった。クリストフは慈母めいた心持を起こして、気づかわしい情愛で看護をした。医者はオリヴィエを聴診して、肺尖《はいせん》に少し炎症を発見し、患者の背中にヨードチンキの塗布をクリストフへ頼んだ。クリストフはその役目を真面目《まじめ》くさってやってのけたが、そのとき、オリヴィエの首に聖牌《せいはい》がかかってるのを見出した。彼は今ではもうオリヴィエを十分理解していて、オリヴィエが彼よりもいっそう宗教心から離脱してることを、よく知っていた。それで聖牌を見出した驚きを隠しきれなかった。オリヴィエは顔を赤めた。そして言った。
「これは記念の品なんだ。憐《あわ》れなアントア
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