繧ノ、始末に終えないキリスト教的観念ときてる……。教理問答だけになってるフランスの宗教教育、去勢された福音書、無味乾操な骨抜きの新約書……いつも眼に涙を浮かべてる人気取りの人道主義……。だが、大革命、ジャン・ジャック・ルソー、ロベスピエール、一八四八年、おまけにユダヤ人ども、などを見たまえ。血のたれてる旧約書の一部でも、毎朝読んでみるがいい。」
 オリヴィエは抗弁した。彼は旧約書にたいして生来の反感をもっていた。その感情は、絵入聖書をひそかにひらいてみた子供のときからのものだった。その聖書は田舎《いなか》の家の書庫にあったもので、だれも読んだ者がなかった。――(子供には読むことが禁じられてさえいた。)――が禁ずるにも及ばなかった。オリヴィエは長くその書物を手にしてはいられなかった。彼はいらだち悲しくなって、すぐにそれを閉じてしまった。そのあとで、イーリアス[#「イーリアス」に傍点]やオデュッセイア[#「オデュッセイア」に傍点]やまたは千一夜物語[#「千一夜物語」に傍点]などに読みふけって、ようやく安心するのだった。
「イリヤード[#「イリヤード」に傍点]の中の神々は美しい力強い不徳な人間である。僕にはよく理解できる。」とオリヴィエは言った。「僕はそれらを愛するか愛しないかだ。愛しないときでさえなお愛してるとも言える。まったく惚《ほ》れ込んでるのだ。パトロクレスとともに血まみれのアキレスの美しい足には接吻《せっぷん》したい。しかし聖書《バイブル》の神は、偏執狂の老ユダヤ人で、恐ろしい狂人で、いつも怒号し威嚇《いかく》し、怒《おこ》った狼《おおかみ》のようにわめきたて、雲の中で逆上している。僕には理解できないし、愛せられもしない。その永遠の呪《のろ》いを見ると頭が痛くなるし、その獰猛《どうもう》さを見ると恐ろしくなる。

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モアブにたいする裁断《さばき》、
ダマスカスにたいする裁断、
バビロンにたいする裁断、
エジプトにたいする裁断《さばき》、
海原の沙漠《さばく》にたいする裁断、
幻象《まぼろし》の谷にたいする裁断……。
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「それはまったく狂人だ。自分一人で審判者と検察官と死刑執行人とを兼ねてると思い、その獄屋の中庭で、花や小石にたいして死刑の宣告をしている。その書物を虐殺の叫びで満たしてる憎悪の執拗《しつよう》さには、あきれるのほかはない……。

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 破滅の叫び……その叫びの声はモアブの全地に響き渡る。彼の怒号の声はエグライムにまで達す。彼の怒号の声はベーリムにまで達す……。
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「そして彼は、殺戮《さつりく》の間に、踏みつぶされた子供や強姦《ごうかん》され腹を割《さ》かれた女などの間で、ときどき休息する。そして、都市を略奪して食卓についてるヨシュアの軍卒のように、彼はうち笑う。

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 しかして軍勢の主君は、脂《あぶら》こき肉の、柔らかき脂肉《あぶらみ》の馳走《ちそう》、古き葡萄《ぶどう》酒の、よく澄める古葡萄酒の馳走を、その人民どもになしたもう……。主君の剣は血に満てり。主君の剣は羊の腎臓《じんぞう》の脂肪に飽きたり……。
[#ここで字下げ終わり]

「もっともいけないのは、この神が不誠実にも、予言者を遣《つか》わして人々を盲目にすることだ。それも彼らを苦しませるための理由を得るためにだ。

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 行け、この民の心を堅からしめ、その眼と耳とをふさげよ。彼らが悟ることを恐るればなり。彼らが改心して健康を回復することを恐るればなり。――主よ、何時までなりや。――家にはもはや人なく土地は荒廃に帰するまで、しかせよ……。
[#ここで字下げ終わり]

「いや僕は生まれてからまだかつて、これほど邪悪な男を見たことがない……。
「僕とても、言葉の力を認めないほど馬鹿ではない。しかし思想を形式から引き放すことはできないのだ。僕がときとしてこのユダヤの神を感嘆することがあるとしても、それは虎《とら》などを感嘆するのと同じ態度でなんだ。種々の怪物を生みだすシェイクスピヤでさえもこんな憎悪《ぞうお》の――神聖な貞節な憎悪の――英雄を、うまくこしらえ出すことはできなかった。こんな書物は実に恐ろしいものだ。狂気はすべて伝染しやすい。そしてこの書物の狂気のうちには、その殺害的な傲慢《ごうまん》さに純化的主張があるだけに、さらに大なる危険がこもっている。イギリスが数世紀来それを糧《かて》としてるのを思うと、僕はおののかざるを得ない。イギリスと僕との間に海峡の溝渠《こうきょ》が感ぜられるのは仕合わせだ。ある民衆が聖書《バイブル》で身を養ってる間は、僕はそれをまったくの文化の民だとはけっして信じないだろう。」
「それでは君は
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