は、夫の前で演奏するときでさえ、まるで子供のように恥ずかしがった。けれども彼らにはそれだけで満足だった。おずおずと口に上せるグルックやモーツァルトやベートーヴェンなどが、二人にとっては友となった。二人はそういう人々の生涯《しょうがい》を詳しく知っていて、彼らが受けた苦しみを思うと、しみじみと愛情を覚えさせられた。またりっぱな本や有益な本をいっしょに読むのも、二人にとっては楽しみだった。しかし現代の文学にはそういう本はほとんどない。作者らは、名声をも快楽をも金をももたらし得ないような人々――ちょうどこの二人の微賤《びせん》な読者のように、世の中に姿も見せず、どこにも筆を執らず、ただ愛し黙ることしか知らないような人々、それを相手にしてはいないのである。アルノー夫妻は、正直な敬虔《けいけん》な人々の心のうちでほとんど超自然的な性質を帯びてくる、ひそやかな芸術の光と、おたがいの愛情とだけで、多少寂しく――(これは否定できないことである)――孤独でややつまらなくはあるが、それでも平和に十分幸福に生きてるのだった。彼らは二人とも現在の地位よりずっとすぐれた人たちだった。アルノー氏は多くの思想をもっていた。しかし今ではそれを書くだけの時間も勇気もなかった。論説や書物を世に発表するには、あまりに多くの奮発が必要だった。それほど努力|甲斐《がい》のあることでもなかった。無益な虚栄心にすぎない。彼は愛する思想家らに比ぶれば取るに足らぬ者だと自分を思っていた。りっぱな芸術作品をあまりに愛していたので、自分自身で「芸術を作ろう」とは願わなかった。そういう志望は、横柄な滑稽《こっけい》なことだと考えられた。自分の役目はりっぱな作品を広めることのように思われた。それで彼は、自分の思想を生徒らに利用さしておいた。生徒らは後に彼の思想を利用して書物を作るだろう――もとより彼の名前を挙げはしないで。――書物の購買に彼ほど金を使う者はなかった。貧しい者こそ常にもっとも気前がよい。彼らはいつも書物を買う。富める者はただで書物を手に入れなければ不名誉なことと思ってるらしい。アルノーは書物のために金を使い果たしていた。それが彼の弱点で、欠点だった。彼はそれを恥じて細君に隠していた。とは言え、細君はそれを彼にとがめようとはしなかったし、自分でも同様のことをやりかねなかった。――それでも彼らは、イタリーへ旅する
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