いては、何事にも全員一致というものがなかった。もしあれば、それはごくまれな場合にだけであって、しかもそのときには、全員一致の性質が流行病的なものとなり、そしてたいていは、病的であるがゆえに誤ったものとなった。個人主義がフランス人の活動のあらゆる方面に君臨していた。学術的な仕事におけると同じく、商業においても個人主義は、大商人らが結合して主人側の協定を作ることを妨げていた。この個人主義は充実したあふれきったものではなくて、執拗《しつよう》な蟄居《ちっきょ》的なものだった。一人でいること、他人から負い目を受けないこと、他人に関係しないこと、他人に交じっておのれの劣等さを感ずるのを恐れること、自分の尊大な孤立の静安さを乱さないこと、そういうのが、局外的[#「局外的」に傍点]雑誌や局外的[#「局外的」に傍点]芝居や局外的[#「局外的」に傍点]集団を作ってる人々の、内心の考えだった。雑誌や芝居や集団の存在の理由は、多くはただ、他人といっしょにいたくないという願い、共通の行為や思想のうちに他人と結合することの不可能さ、または、党派的|敵愾《てきがい》心でないとすれば、もっともたがいに理解していい人々をもたがいに武装さしてる猜疑《さいぎ》心、などにすぎなかった。
たがいに尊敬し合ってる精神の人々が、たとえば雑誌イソップ[#「イソップ」に傍点]におけるオリヴィエやその仲間たちのように、一つの仕事に集まってるときでさえも、彼らはいつもたがいに警戒し合ってるがようだった。ドイツではだれももっていてかえって邪魔となりやすい開放的な朴訥《ぼくとつ》さを、彼らは少しももっていなかった。イソップ[#「イソップ」に傍点]の青年の群れのうちには、ことにクリストフの心をひく者が一人(シャール・ペギー)いた。その男に例外的な力があることを見てとったからである。それは一人の作家で、不撓《ふとう》な理論と執拗な意志とをそなえ、道徳的な観念に熱中し、頑固《がんこ》にその観念に奉仕し、そのためには全世界をも自分自身をも犠牲にするだけの覚悟をもっていた。その観念を擁護せんがために、ほとんど自分一人で一つの雑誌を設けて編集していた。純粋な勇壮な自由なフランスという観念を、ヨーロッパにまたフランス自身にいだかせようとみずから誓っていた。自分がフランス思想史中のもっとも勇敢なページの一つを書いてるのだということは、
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