四旬節祭の説教者に、無邪気な悪戯《いたずら》をしたりすることを、ごく面白がっていた。実際、フランスの小都市のかかる反僧侶主義は、いつも多少なりと家庭不和の一事であって、ほとんどすべての家に起こる夫婦間の激しい暗闘の陰険な一形式であることを、忘れてはいけないのである。
 アントアーヌ・ジャンナンはまた、文学上の抱負をもっていた。同時代の地方の人々はたいていそうであったが、彼もやはりラテンの古典に養われて、その数ページやたくさんの諺《ことわざ》を暗記していた。その他、ラ・フォンテーヌ、ボアロー――ボアローの詩論[#「詩論」に傍点]やことに譜面台[#「譜面台」に傍点]――オルレアンの少女[#「オルレアンの少女」に傍点]の著者、フランス十八世紀の小詩人ら、などからも養われていた。そういう趣味の詩を作ることに骨折っていた。彼の知人の範囲内では、そういう嗜癖《しへき》をもってるのは彼一人ではなかった。そして彼はこの点でも名声を得ていた。彼の諧謔《かいぎゃく》詩、四句詩、題韻詩、折句詩、諷《ふう》詩、歌謡詩、などは幾度も人々の口にのぼった。それらは往々にしてかなり危《あぶな》っかしいものだったが、露
前へ 次へ
全197ページ中7ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
ロラン ロマン の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング