もどってくるのは、それが初めてではなかった。子供たちはもうそれに驚かなくなっていた。彼らといっしょに彼女は無理にすぐ食卓へついた。暑苦しくて子供たちは二人とも食べ物が喉《のど》に通らなかった。肉の切れや味のない水を二口三口いやいや飲み込むのも、やっとのことだった。気分がなおる余裕を母に与えるため話もしなかった――(話したくもなかった)――そして窓をながめていた。
 突然ジャンナン夫人は、両手を動かし、食卓へしがみつき、子供たちをながめ、うめき声を出し、そしてがっくりとなった。アントアネットとオリヴィエはそのまに駆け寄って、彼女を腕に抱き止めた。二人は狂人のようになって、叫び願った。
「お母《かあ》さん! ねえお母さん!」
 しかし彼女はもう返辞をしなかった。子供たちは思慮を失った。アントアネットは母の身体をひしと抱きしめ、接吻《せっぷん》をし名を呼んだ。オリヴィエは部屋の扉《とびら》を開いて叫んだ。
「助けて――!」
 門番の女が階段を上って来た。そして様子を見て取ると、近くの医者へ駆けていった。しかし医者が来たときには、もう駄目《だめ》だと認めるよりほかはなかった。頓死《とんし》だった――ジャンナン夫人にとっては仕合わせというべきである――(たとい、みずから死ぬことを見て取りながら、またかかる困窮のうちに子供たちだけを置きざりにしながら、彼女がその臨終のわずかな瞬間にどういうことを考えたかは、だれにもわかりはしないけれど……)。

 その災厄《さいやく》の恐ろしさを忍ぶにも二人きりだったし、泣くにも二人きりだったし、死のつぎに来る堪えがたい仕事に気を配るにも二人きりだった。親切な門番の女が、彼らを少し助けてくれた。ジャンナン夫人が稽古《けいこ》を授けていた修道院からは、冷やかな同情の数語がよこされた。
 初めのうちは、名状しがたい絶望のみだった。二人を救ってくれた唯一のものは、過度の絶望そのものだった。オリヴィエはほんとうの痙攣《けいれん》状態に陥った。そのためアントアネットは自分の苦しみから気がそらされた。彼女はもう弟のことしか考えなかった。その深い愛情はオリヴィエの心に沁《し》み通り、彼が苦悶《くもん》のあまり危険な逆上に陥ることを防いだ。母親の遺骸《いがい》が休らってる寝台のそばで、小さなランプの光の下で、二人はたがいに抱き合っていた。死ぬよりほかはない、二人とも、すぐに、死ぬよりほかはない、とオリヴィエはくり返した。そして窓をさし示した。アントアネットもまたその痛ましい願望を感じていた。しかし彼女はそれと闘《たたか》った。彼女は生きたかった……。
「生きて何になるんだ?」
「この方《かた》のためによ。」とアントアネットは言った(彼女は母を指《さ》し示していた。)――「この方はやはり私たちといっしょにいらっしゃるわ。考えてごらんなさい……私たちのためにさんざんお苦しみなすったのだから、いちばんひどい苦しみ、私たちが不仕合わせで死ぬのをご覧なさるという苦しみは、ああ、おかけしないようにしなければいけません……。」と彼女は感情に激して言った。「……それに、そんな諦《あきら》め方をしてはいけません! 私はいやよ。私はどうあっても逆《さか》らうわ。あなたがいつかは幸福になることを、私望んでるのよ。」
「幸福になるものか!」
「いいえきっとなってよ。私たちはあんまり不幸だったわ。今に変わってくるわ。変わるに違いないわ。あなたは生活を立ててゆき、家庭をもち、幸福になるでしょう。それが、それが私の望みよ!」
「どうして生きてゆけるの? 私たちにはとてもできない……。」
「できますとも。なんだと思ってるの? あなたが自活できるようになるまでの間のことよ。私が引き受けるわ。見ててごらんなさい、私がやってみせるから。ああ、お母《かあ》さんが私のするとおりに任しててくだすったら、もうちゃんとできてたのに……。」
「何をするつもりなの? 私は姉《ねえ》さんに恥ずかしいことをさせたくない。それに姉さんにはできやしない……。」
「できますよ……。働いて生活をするのは――正直でさえあれば――少しも恥じることはありません。心配しないでちょうだい、お願いだから。見ててごらんなさい。万事うまくいきます。あなたは幸福になります。私たちは幸福になります。ねえオリヴィエ、この方[#「この方」に傍点]も私たちのせいで幸福になります……。」
 二人の子供だけが母の柩《ひつぎ》の供をした。二人はたがいに同じ心から、ポアイエ家へは何にも知らせないことにした。ポアイエ家の人たちは、二人にとってはもはやないも同様だった。母にたいしてあまりに残忍だったし、母の死の一原因だったのである。門番の女から他に親戚はないかと聞かれたとき、二人は答えた。
「だれもありません。」
 あら
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