初の夜、風通しのない室につめ込まれて眠れはせず、寒かったり暑かったり、息をつくこともできず、廊下の足音や扉《とびら》を閉《し》める音や電鈴の音におびえ、馬車や重い荷馬車の絶え間ない響きに頭を痛められて、その怪物のごとき都会が恐ろしく感ぜられた。その中に彼らは飛び込んできて、途方にくれてしまったのである。
翌日ジャンナン夫人は、オースマン大通りにぜいたくな住居を構えてる姉のもとへ駆けつけた。片がつくまでその家に泊めてもらえるだろうと、口にこそ出さなかったが心に思っていた。ところが最初の待遇ぶりからして、彼女の夢を覚《さ》ますに十分だった。このポアイエ・ドゥロルム家の人たちは、親戚《しんせき》の没落を怒っていた。ことに夫人は、自分たちにまで世の悪評が及びはしないかを恐れ、夫の昇進の妨げになりはしないかを恐れていたので、零落した家族の者が自分たちにすがりついてきて、なおも煩いをかけるのは、この上もなくずうずうしいことだと考えていた。司法官の考えも同様だった。しかし彼はかなり善良な男だった。夫人から見張られていなかったら、少しは義侠《ぎきょう》心を起こしたかもしれなかった――がもとより、見張られてることを苦にしてもいなかった。ところで、ポアイエ・ドゥロルム夫人はきわめて冷淡に妹を待遇した。ジャンナン夫人はびっくりした。余儀なく自尊心をも捨ててしまって、目下の困難な境遇や、ポアイエ家から期待してる事柄などを、遠回しに述べたてた。が向こうからはわからないふうをされた。夕食に引き止められもしなかった。そして、今週の終わりにという儀式ばった招待を受けた。その招待もポアイエ夫人から出たのではなく、司法官から出たものだった。彼は夫人の待遇ぶりをさすがに気の毒に思って、その冷淡さを少し和らげようとしたのだった。彼は温良さを装っていた。しかし彼がさほど淡白でなくごく利己的であることは、明らかに感ぜられた。――不幸なジャンナン家の人たちは、旅館へ帰っていった。その最初の訪問については、たがいに印象を語り合うこともなしかねた。
彼らはそれから毎日、部屋を捜しながらパリーの中をさまよった。幾階もの階段を上るのに疲れきり、人がぎっしりつまってる兵営みたいな家や、不潔な階段や薄暗い室など、田舎《いなか》の大きな家に住んだあとにはいかにも惨《みじ》めで、見るのも厭《いや》になるものばかりだった。彼らはますます気が滅入《めい》った。そして、往来や商店や料理屋などどこででも、彼らはいつも驚きあきれていたので、皆からだまされてばかりいた。彼らが求めるものはどれもこれも法外の価だった。あたかも手に触れる物をすべて黄金になす術《すべ》を知ってるかのようだった。ただ、その黄金の代を払うのは彼らだった。彼らはこの上もなく拙劣で、また身を守るだけの力をももっていなかった。
ジャンナン夫人は、もはや姉へはあまり希望をかけていなかったけれども、招待された晩餐《ばんさん》についてなお幻を描いていた。彼らは胸をどきつかせながら招待におもむいた。すると、親戚としてではなく客として迎えられた――がもとよりその晩餐には、儀式ばった接待以外の金目《かねめ》はかけられていなかった。子供たちはその従兄姉《いとこ》らに会った。ほとんど同じくらいの年ごろだったが、両親に劣らずよそよそしい態度だった。娘の方は、優雅でなまめかしくて、高ぶった丁寧な様子をし、わざとらしい甘っぽい素振りをして、気取った口調で話しかけてはジャンナンの子供たちをまごつかせた。息子《むすこ》の方は、貧乏な親戚の者と会食する役目をいやがって、できるだけ苦々《にがにが》しい顔つきをしていた。ポアイエ・ドゥロルム夫人は、椅子《いす》の上にきちんと威儀を正して、料理を勧めるときでさえ、たえず妹へ教訓をたれてるがようだった。ポアイエ・ドゥロルム氏は、真面目《まじめ》な話を避けるために、くだらないことばかり言っていた。面白くもない会話は、うちとけた危険な話題を恐れるあまり、食べ物の範囲外に出でなかった。ジャンナン夫人は強《し》いて、心にかかってる事柄に話を向けてみた。しかしポアイエ・ドゥロルム夫人から、なんでもない言葉でそれをきっぱりさえぎられた。彼女はもうふたたび言い出す勇気がなかった。
食事のあとでジャンナン夫人は、娘にピアノを一曲ひかせてその技倆《ぎりょう》を示させようとした。娘は当惑し心が進まないで、ひどく下手《へた》にひいた。ポアイエ家の人たちは退屈して、その終わるのを待った。ポアイエ夫人は皮肉な皺《しわ》を唇《くちびる》に寄せて、自分の娘を見やった。そして音楽があまり長くつづくので、彼女はジャンナン夫人へ取り留めもないことを話しだした。アントアネットはその楽曲の中に迷い込んでいて、ある箇所では先をつづける代わりに初めをくり
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