いがした。死んでしまったような気がした。夜は自分の室に閉じこもった。そして燈火もつけないことがしばしばだった。暗い中にじっとすわったままでいた。その間オリヴィエは、例の取り留めもない恋心地の楽しみにふけりながら、下の広間で面白がっていた。そして、令嬢らと談笑しつづけ、なおいつまでも別れかねて、扉口《とぐち》で何度も挨拶《あいさつ》をかわしながら、ついに自分の室のほうへ上がってきた。その足音が聞こえるときに、アントアネットは初めて惘然《ぼうぜん》としていたのから我に返った。そして暗闇《くらやみ》の中に微笑を浮かべて、立ち上がって電燈をつけた。弟の笑い声を聞くと元気になるのだった。
 秋はふけていった。日の光は薄くなり、自然はしおれてきた。十月の靄《もや》と雲とにつつまれて、色彩は褪《あ》せてきた。山には雪が降り、野には霧がかけた。旅客は一人ずつ、つぎには組をなして、帰っていった。そして友だちが立ち去るのは、たとい心の残らない友だちが立ち去るのでも、見るに悲しいことだった。ことに、生活中の林泉《オアシス》とも言うべき、安静と幸福との時だった。夏が去るのは、悲しいことだった。二人はいっしょに、ある薄曇りの秋の日に、森の中を山に沿って、最後の散歩をした。たがいに口をきかず、やや憂鬱《ゆううつ》な夢想にふけりながら、寒げに寄り添って、襟《えり》を立てた外套《がいとう》にくるまっていた。二人の指は組み合わされていた。湿った林はひっそりとして、無言のうちに泣いていた。冬の来るのを感じてる寂しい一羽の小鳥の、やさしい憂わしげな鳴き声が、奥のほうに聞こえていた。澄みきった家畜の鈴の音が、遠くほとんど消え消えに、霧の中に響いていて、あたかも二人の胸の奥に鳴ってるがようだった……。
 彼らはパリーへ帰った。二人とも寂しかった。アントアネットはその健康を回復していなかった。

 オリヴィエが学校へもって行くべき荷物を支度《したく》しなければならなかった。アントアネットはそれに残りの貯蓄を費やした。ひそかに数個の宝石さえ売り払った。それで構わなかった。あとで彼が買いもどしてくれるかもしれなかった。――それにまた、彼がいなくなれば、彼女はもうそんな物には用はなかったのだ!……弟がいなくなった後のことなどを彼女は考えたくなかった。彼女はただ弟の荷物のことに気を配り、弟にたいする熱い情けをすべてその仕事にうち込み、これが世話のおしまいではないかという予感がしていた。
 二人はいっしょに過ごす終わりの数日間、もうたがいにそばを離れなかった。少しの時間も無駄にすまいと懸念していた。最後の晩は、暖炉のほとりにおそくまでとどまっていた。アントアネットは家にただ一つの肱掛椅子《ひじかけいす》にすわり、オリヴィエはその足先の腰掛にすわって、いつものように大きな駄々《だだ》っ児《こ》として愛撫《あいぶ》されていた。彼はこれから始まる新生活にたいして、不安を覚えていた――がまた好奇心も動いていた。アントアネットはこれが自分たちのなつかしい親しい生活の終わりではないかと考え、自分はこれからどうなるだろうかと空恐ろしく想像していた。その思いをさらにつらくなさせるためかのように、彼はその晩これまでになくごくやさしくて、出発のときに初めて自分のいちばんよい点や美しい点を示そうとする人々に見受けるような、無邪気な甘え方までしていた。彼はピアノについて長くひいてやった、二人がもっとも好きなモーツァルトやグルックの曲を――二人の過ぎ去った生活が多く結び合わされてる、やさしい幸福と清い悲しみとの幻影の曲を。
 別れるときになると、アントアネットは学校の入口までオリヴィエについて来た。それから家にもどった。またもや一人ぽっちになった。しかしそれはドイツへの旅とは違って、辛棒できないときにいつでも捨て得る別離ではなかった。こんどは彼女のほうが残っていた。立ち去ったのは彼だった。長く一生の間立ち去ってしまったのは彼だった。それでも彼女は親愛の情に満ちていて、別れたすぐあとでも、自分のことより彼のことを多く考えた。今までと非常に異なった彼の生活の初めのうちのこと、学校の古参者たちの意地悪な仕業《しわざ》、孤独な生活をして愛するもののために常に心痛しがちな人々の頭の中では、たやすく不安なものとなってくる、取るに足らぬ小さな不快な事柄、そういうものについて彼女は気をもんだ。がその懸念は少なくとも、彼女の心を孤独の寂しさから多少紛らせるのに役立った。翌日応接室で彼に会える三十分ばかりのことも、彼女はもう考えていた。その時になると十五分も前からやって行った。彼は彼女へたいへんやさしかった。しかし眼に触れた事物にすっかり心を奪われ面白がっていた。それからも彼女は常に気がかりな愛情に満ちてやって来たが、そのし
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