さえ言った。何事かを肯定してあとですぐにそれを否定しないのは、あるいは少なくともそれに疑問をつけないのは、上品なやり方ではないということを、それらの柔惰な者どもはルナンから教え込まれていた。「常に然り然りであり[#「常に然り然りであり」に傍点]、その次に否々である[#「その次に否々である」に傍点]、」と聖パウロが評したような人物に、ルナンは属していた。フランスの選良な人々は皆、この水陸|両棲《りょうせい》的な信条に心酔していた。精神の遊惰と性格の柔弱とは、それをいいことにしていた。彼らはもはや一つの作品について、良いとも悪いとも、真だとも嘘《うそ》だとも、賢いとも愚かだとも、言わなくなった。彼らはこう言った。
「そうかもしれない……そうでないとも言えない……俺《おれ》にはわからない……俺はごめんこうむろう。」
もし淫猥《いんわい》な芝居が演ぜられていても、「これは淫猥だ、」とは彼らは言わなかった。彼らはこう言った。
「スガナレルさん、どうかそういう言い方は変えてください。私どもの哲学によると、なんでも不確実に言わなければなりません。それですから、『これは淫猥だ、』と言ってはいけません。『私には……どうも、これは淫猥のように思われる。……しかし、確かにそうだというのではない。あるいは傑作であるかもしれない。傑作でないとはだれにも言えない。』と言わなければいけません。」
そこにはもはや、芸術にたいして暴慢だとの咎《とが》めを受ける危険はなかった。昔、シルレルは彼らに教えをたれたことがあった。彼は当時の雑誌新聞記者らを、用捨もなくけちな暴君と呼んで、次の事柄を頭に入れさした。
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婢僕《ひぼく》の本分
何よりもまず、女王の出御される家が、きれいになっていなければいけない。気をつけて、室々を掃除《そうじ》せよ。そのために諸君はここにいるのだ。
しかし女王が出御されたならば、すぐに退《さが》ってしまえ。女王の椅子《いす》に、召使|風情《ふぜい》が腰をおろしてはいけない。
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ところが、現今の批評家どもは許してやらなければならなかった。彼らはもはや女王の椅子に腰掛けてはいなかった。婢僕たることを求められたので、すなわち婢僕となっていた。――しかし悪い婢僕だった。彼らは少しも掃除しなかった。室は散らかっていた。彼らは室を片づけ清潔にするよりは、むしろ腕をこまねいて、自分の仕事を委《ゆだ》ねていた、主人に、当時の神に――普通選挙に。
実のところ、少し以前から、当時の無政府的無気力さにたいして、反動の気運が起こっていた。ある真面目《まじめ》な人々は公衆の衛生を目的とした戦いを――まだごく微弱なものではあったが――企てていた。しかしクリストフは、自分の周囲にそういう様子を少しも見出さなかった。そのうえ、人は彼らに耳を貸さなかった、もしくは彼らを嘲笑《あざわら》っていた。時々ある強健な芸術家が、一般にもてはやされる芸術の不健全な愚劣さにたいして、反抗の気勢を示すと、その作者らは傲然《ごうぜん》として、公衆が満足してる以上は自分らの方が正当だと答え返した。非難の口をつぐませるにはそれで十分だった。公衆がそう言ったのだ。それは芸術の最上の審判なのだ! そして、公衆を腐敗さした人々のためにする腐敗した公衆の立証は、拒否してかまわないこと、また、芸術家は公衆に命令するためにあるものであって、公衆が芸術家に命令するものではないこと、それにはだれも思い及ばなかった。数――客と収入額との数――にたいする崇拝が、この商売人化された民主主義の芸術観を支配していた。作者らのあとについて、批評家らも従順に、芸術品の本務は人を喜ばすことだと、宣言していた。成功が掟《おきて》であった。成功がつづく間は平伏するのほかはなかった。かくて批評家らは、快楽の相場の変動を予知しようと、作品にたいする公衆の意見をその眼色で読み取ろうと、つとめていた。またおかしなことには、公衆の方でも、作品をどう考えていいかを、批評家の眼色で読み取ろうとつとめていた。そして両方から眼を見合わしていた。しかもたがいの眼の中には、自分自身の不決断が見て取られるばかりだった。
けれども、大胆な批評が最も必要な場合であった。無政府的共和国にあっては、万能である流行が、保守的な国におけるように退転することは、めったにあるものではない。流行は常に前進してゆく。そして精神的|似而非《えせ》自由が、たえずせり上がってゆく。それにはほとんどだれも抵抗しようとしない。群集は本音を吐くことができない。心の底では不快を感じているが、しかしだれもあえて、自分がひそかに感じてることを言い得ない。ここでもし批評家が強かったならば、あえて強くあり得たならば、いかなる権威を彼は握ることだろう! 頑強《がんきょう》な批評家は数年のうちに、(と若い専制者クリストフは考えた、)一般趣味のナポレオンとなることもでき、芸術のあらゆる病人をビセートル療養院へ追い払うこともできるかもしれない。しかし、もはやナポレオンは存在しない。……第一、批評家らは皆、腐敗した空気の中に住んでいる。しかもそれに気づかなくなっている。次に、彼らはあえて語り得ない。彼らは皆知り合っていて、小さな仲間を形造っていて、たがいに遠慮しなければならなくなっている。独立してる者は一人もない。独立せんがためには、組合生活を捨て、友誼《ゆうぎ》をも捨てなければならないだろう。それだけの勇気を、この柔弱な時代にだれがもってるだろうか? 率直な正しい批評は、それをなす者がこうむることのある不快事を、償い得るものであるかどうかを、最も優良な人々でさえ疑っている時代なのだ。本分のために自分の生活を火宅となし得る者が、だれかあるだろうか? あえて世論に対抗し、一般の愚蒙《ぐもう》と戦い、現時の勝利者らの凡庸《ぼんよう》さを暴露《ばくろ》し、馬鹿者どもの手中に渡されてる無名孤独な芸術家を擁護し、服従をのみ知ってる人々の精神に帝王の精神を課し得る者が、あるだろうか?――劇場の廊下で初日の晩に、批評家らが言い合ってる言葉を、クリストフはふと耳にすることがあった。
「どうだい。まずいね。失敗だね。」
しかも翌日になると彼らは、傑作だとか、新しいシェイクスピヤだとか、天才の羽ばたきが頭上をかすめたなどと、新聞記事の中で言っていた。
「君らの芸術に欠けてるものは、」とクリストフはシルヴァン・コーンに言った、「才能よりもむしろ性格だ。君らに多く必要なのは、偉大な批評家であり、レッシングであり、また……。」
「ボアローかね?」とシルヴァン・コーンはひやかして言った。
「おそらくそうだ。十人の天才芸術家よりも一人のボアローだ。」
「ボアローがいたって、」とシルヴァン・コーンは言った、「だれも耳を貸すまいよ。」
「耳を貸す者がいないとすれば、その男がボアローでないからだ。」とクリストフは答え返した。
「僕は誓っておくが、もし僕が君らの赤裸々な実相を言ってやろうと思ったら、その時こそは、いかに僕が無器用であるにせよ、君らに耳を傾けさせないではおかない。かならず君らに丸飲みにさせてみせる。」
「そうかねえ。」とシルヴァン・コーンは冷笑した。
彼は公衆一般の柔惰にいかにも意を安んじ満足してる様子だったので、クリストフは彼をながめながら、この男は自分よりはるかにフランスにたいして門外漢だなと、にわかに感じた。
「こんなはずではない。」と彼は、通俗な劇場から嫌《いや》になって出てきた晩と同じように、ふたたび言った。
「他に何かあるはずだ。」
「このうえ何がほしいんだ?」とコーンは尋ねた。
クリストフは執拗《しつよう》にくり返した。
「フランスさ。」
「フランスとは、われわれのことだよ。」とシルヴァン・コーンは笑い出しながら言った。
クリストフはちょっと彼を見つめ、それから首を振って、またくり返した。
「他に何かある。」
「じゃあ捜してみるがいい。」とシルヴァン・コーンはますます笑いながら言った。
クリストフは捜しあてることができた。まさしく彼らは他のものを隠しもっていた。
[#改ページ]
二
パリーの芸術が発酵してる思想の醸造|桶《おけ》を、クリストフは次第にはっきりとのぞき込むにつけ、一つの強い印象を受けた。それは、この世界一家的な社会における婦人の最上権であった。婦人はこの社会で、法外な異常な地位を占めていた。もはや男子の伴侶《はんりょ》たることだけでは満足しなかった。男子と同等になってさえも満足しなかった。婦人の喜びが男子にとっての第一の掟とならなければ承知しなかった。そして男子もそれに賛成していた。民衆は老衰してゆく時、その意志や信念やあらゆる生存の理由を、快楽を与えてくれる者の手に委《ゆだ》ねるものである。男子は作品を作る。しかし女子は男子を作る――(当時のフランスにおけるごとく、女子もまた作品を作ることに立ち交らない時には)――そして女子が作るというのも、実は破壊するといった方が至当かもしれない。もちろん、永遠の女性は常に、優良な男子の上に刺激的な力を与えはした。しかし一般男子にとっては、疲弊した時代にとっては、だれかが言ったように、まったく別な女性がある。この女性もまた永遠なものではあるが、男子を下へ引きおろすのである。そしてかかる女性こそ、パリーの思想の主人であり、フランス共和国の王であった。
クリストフは、シルヴァン・コーンの紹介により、また自分の技倆《ぎりょう》によって、多くの客間《サロン》から迎えられていたが、そこで彼は珍しげに、パリー婦人を観察した。彼は多くの外国人と同じく、自分が出会った二、三の類型によって得た仮借《かしゃく》なき意見を、フランス婦人全般に押し広げてしまった。その類型というのは、年若な婦人で、大して背が高くなく、さほど清楚《せいそ》でもなく、しなやかな身体、染めた髪の毛、愛嬌ある顔の上にある、身体不相応に大きな帽子。はっきりした顔だち、少し脹《ふく》れっ気味の肉。どれもみな、かなり格好はよいが、たいてい卑俗で、特質のない小さな鼻。なんら深い生命はないがいつも活発であって、できるだけ輝かせ、できるだけ大きく見せようとつとめてる眼。しまりのよいきっぱりした口。ぽってりした頤《あご》。恋愛事件にばかり没頭しながらも、決して世間や家庭への注意をも怠らないそれら華奢《きゃしゃ》な婦人らの、物質的な性質を示してる顔の下部。きれいではあるが、民族的な根は少しもない。それら社交婦人のほとんどすべてには、一種の臭みが感ぜられた。腐敗してる中流婦人の臭みであり、もしくはそう見せたがってる中流婦人の臭みであって、その階級特有の伝統が見えていた、慎重、倹約、冷静、実際的能力、利己主義など。貧弱なる生活。官能の要求よりもむしろ頭の好奇心から多く発した、快楽の欲望。平凡なしかも断固たる意志。きわめてりっぱに衣服をまとい、自動的な細かな身振りをしていた。手の甲や掌《たなごころ》で、髪や櫛《くし》をこまかにたたきなでていた。そしていつも、大鏡の近くででもまた遠くででも、自分の姿が映るようなふうに――そして他人をも監視できるようなふうに――すわるのであった。そのうえになお、食事の時でもまたはお茶の時でも、よくみがかれて光ってる匙《さじ》やナイフや銀の珈琲皿《コーヒーざら》などに、自分の顔がちらと映るのを見落とさないで、何よりもその方を多く気にかけていた。食卓ではきびしい摂生法を守《まも》っていた。理想的な白粉《おしろい》ののりぐあいを害するかもしれないような食物は、いっさい口にしないで、水ばかり飲んでいた。
クリストフが出入する周囲には、ユダヤ婦人が割合に多かった。彼はユーディット・マンハイムに出会って以来、ユダヤ婦人にあまり空望をかけはしなかったが、それでも、いつも彼女らにひきつけられた。シルヴァン・コーンは彼を、イスラエル系統の二、三の客間《サロン》へ紹介していた。そこで彼は、才知を好むこの民
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