論だけではなくて、あらゆる理論であった。ビザンチン式の論争、永遠にそして単に音楽のことばかりを言う音楽家連中の会話に、彼は悩まされた。最良な音楽家にも音楽を嫌《いや》にならせるほどだった。音楽家も時々はその対位法や和声を捨てて、よい書物を読んだり人生の経験を積んだりする方がいいと、クリストフはムソルグスキーと同じようなことを考えていた。音楽家にとっては、音楽だけでは十分でない。音楽だけでは、時代を達観し虚無を超越するまでにはいたらないだろう……。人生だ! 全人生だ! すべてを見、すべてを知ることだ。真実を愛し求め抱きしめることだ。真実――接吻《せっぷん》してくる者にたいして噛《か》みつく美しいアマゾンの女王ペンテジレアよ!
音楽討論会や和音製造店などは、もうたくさんだ! それらの和声料理の饒舌《じょうぜつ》なんかは、怪物でなくて一つの生物たる新しい和声を発見する道をば、決して教えてくれないであろう。
クリストフは、壜《びん》の中に侏儒《しゅじゅ》をでも孵化《ふか》させるために蒸留器を大事に温《あたた》めてる、それらワグナー派の学者たちに背を向けた。そしてフランスの音楽界から脱出して、文学界とパリーの社会とを知ろうとつとめた。
クリストフがまず当時のフランス文学と近づきになったのは――フランスの大多数の人々と同じように――日刊新聞によってであった。彼は自分の語学を完成するとともに、できるだけ早くパリーの思想に通じたかったので、最もパリー的だと言われてる新聞を、ごく丹念に読もうと努めた。第一日目に彼は、記事や写真で数欄を埋めてる恐ろしい雑報のうちに、一つの短編小説を読んだ。十五歳になる娘といっしょに寝る父親のことが書いてあった。ごく自然でまたかなり痛切なこととして叙述されていた。二日目には同じ新聞で、父親と十二歳になる息子とがやはり娘といっしょに寝る短編を読んだ。三日目には、兄と妹とがいっしょに寝る短編を読んだ。四日目には、二人の姉妹がいっしょに寝る短編を読んだ。五日目には……彼は嘔吐《おうと》を催して新聞を投げ捨て、シルヴァン・コーンに言った。
「ああ、これはいったいどうしたんだ? 君たちは病気なのか。」
シルヴァン・コーンは笑い出して言った。
「それが芸術さ。」
クリストフは肩をそびやかした。
「冗談はよせよ。」
コーンはますます笑った。
「冗談なものか。まあこれを見てみたまえ。」
彼は芸術と道徳とに関する最近の調査を、クリストフに示した。調査の結果によれば、「恋愛はすべてを神聖にす、」「肉欲は芸術の酵母なり、」「芸術は不道徳たり得ず、」「道徳は偽善的教育によって注入せられたる因襲なり、」ただ「大なる欲望」のみが問題である、などということになるのであった。――遊蕩《ゆうとう》者の風俗を描いたある長編小説の純潔さが、どの新聞を見ても、多くの文学者の書信によって証明されていた。回答者のうちには、文学の大家や謹厳な批評家などがあった。通俗で旧教的なある家庭詩人は、ギリシャの悪習のごく細密な描写に、芸術家としての祝福をささげていた。ローマ、アレキサンドリア、ビザンチン、イタリーおよびフランスの文芸復興、大世紀……などの各時代を通ずる放逸のありさまを勤勉に細叙してある小説に、多くの叙情的な称賛の辞が浴びせられていた。それらの小説には放逸の変遷が何一つ省かれていなかった。また他の一群の研究は、世界各国を包含していた。細心な作者らは、聖ベノア修道会員のような忍耐をもって、世界五か所の遊蕩《ゆうとう》場の研究に身をささげていた。それらの快楽の地理学者や歴史家らのうちに、秀《ひい》でた詩人やりっぱな著作家が現われていた。人々が彼らを他人と区別してるのは、ただその博識によってばかりだった。彼らは完璧《かんぺき》な措辞をもって、古代の遊蕩を語っていた。
最も驚くべきことには、りっぱな人々や真の芸術家らが、フランス文芸界において正当な名声を博してる人々までが、まったく不適当なこの仕事に努力していた。ある人々は他人をまねて、朝刊新聞が切り売りする卑猥《ひわい》なものを書こうと苦心していた。彼らはそれを、一週に一、二回、きまった日に規則正しく生み出していた。しかもすでに数年来引きつづいてることだった。彼らはもう何も言うことがなくなっても、でたらめな無作法な新しいものを頭からしぼり出しながら、やたらに生み出してばかりいた。公衆は食べすぎて、いかなる料理にも飽いてしまい、やがて、最も淫蕩《いんとう》な快楽の想像をもつまらなく思うようになっていた。それでただ競《せ》り上げを、永久の競り上げ――他人よりもまさり自分自身よりもまさろうとする――を、なさなければならなかった。そして彼らは自分の血をしぼり出し、自分の臓腑《ぞうふ》をしぼり出していた。それは痛ましいまた奇怪な光景であった。
クリストフは、そういうあさましい職業の内幕に通じていなかった。もし通じていても、そのために大目に見てやりはしなかったであろう。なぜなら彼から見れば、銀三十枚のために芸術を売る芸術家ほど、世に許しがたいものはなかったから……。
――愛する人々の生活を確かにしてやるためにでも、いけないのか。
――いけない。
――それは人情がないというものだ。
――人情があることが問題じゃない。一個の人間たることが問題なのだ。……人情だって!……毛色の変わった君らの人情こそ、憐《あわ》れなものだ。……人は同時に多くのものを愛するものではない、多くの神に仕えるものではない!……
クリストフは、勤労な生活をしているうち、自分の小さなドイツの町の地平線から、ほとんど外に出たことがなかったので、パリーに展開されてる芸術上の腐敗は、ほとんどすべての大都会に共通のものであるということを、気づき得なかったのである。そして、「ラテンの不道徳」にたいする「貞節なるドイツ」の遺伝的偏見が、彼のうちに目覚《めざ》めていた。それでもシルヴァン・コーンはシュプレー河畔に起こっている事柄を、強暴なる性質のためにその醜事がさらに嫌悪《けんお》すべきものとなっている、ドイツ帝国の選良階級の恐るべき腐敗を、クリストフの説にりっぱに対向せしめ得るはずであった。しかしシルヴァン・コーンはそれを利用しようとは思わなかった。彼はパリーの風俗に平気であるごとく、ベルリンの風俗にも平気であった。「各民衆にはそれぞれの風習があるものだ、」と彼は皮肉な考え方をして、周囲の社会の風習を自然なものだと思っていた。それを見てクリストフは、それらの風習は民族本来の性質であるとまで考えた。ゆえに彼は同国人らと同じように、ヨーロッパの精神的貴族社会を呑噬《どんぜい》しつつある腐食のうちに、フランスの芸術に固有な悪徳を、ラテン諸民族の欠点を、見て取らずにはいられなかった。
パリーの文学とのこの初めの接触は、彼には心苦しいものだった。後にその心苦しさを忘れるまでには、多少の時間がかかった。とは言えそれらの著作家の一人が、「基礎的娯楽の趣味」と高尚な名前をつけてるもの、それにばかり関係してるのではないような作品も、ないではなかった。しかしその最もりっぱな最もよい作品は、クリストフの眼には触れなかった。それらの作品は、シルヴァン・コーンなどの連中に賛成を求めてはいなかった。それらは彼らを念頭においてはいなかったし、彼らもそれらを念頭においてはいなかった。両方ともたがいに知らなかった。シルヴァン・コーンはかつて、そういう作の噂《うわさ》をクリストフにしたことがなかった。彼は自分や自分の友人らがフランス芸術を代表してるのだと、真面目《まじめ》に思い込んでいたし、自分らが偉人だと認めた者以外には、才能もなく、芸術もなく、フランスもないと、思い込んでいた。クリストフは、フランス文芸の名誉たりフランスの王冠たる詩人らについては、なんらの知るところもなかった。ただ数人の小説家だけが、パレスとアナトール・フランスとの数冊の書が、凡庸《ぼんよう》の潮の上に浮き出して彼の手に達した。しかし彼はまだフランス語に十分慣れていなかったので、後者の博識な皮肉、前者の頭脳的官能主義を、十分味わうことができなかった。それでも、アナトール・フランスの温室の中に萌《も》え出てる橙樹《オレンジ》の鉢植《はちう》え、パレスの魂の墓地にのぞき出てる繊細な水仙花《すいせんか》、それらの前に彼はしばらく足を止めて珍しげにながめた。また、メーテルリンクのやや崇高でやや幼稚な天才の前にも、しばらく足を止めた。世俗的な単調な一つの神秘主義がそれから発散していた。彼ははっと飛びのいて、こんどは太い急湍《きゅうたん》の中に、前から知っていたゾラの泥《どろ》深い浪漫主義《ロマンチズム》の中に、落ち込んでいった。それから出たかと思うと、文学の大|氾濫《はんらん》の中にすっかりおぼれてしまった。
水に浸ったそれらの平野からは、女の匂い[#「女の匂い」に傍点]が立ちのぼっていた。当時の文学には、女性的男子と女子とがいっぱい群がっていた。――もし女が、いかなる男もかつて完全に見て取り得なかったものを、すなわち女性の魂の奥底を、描写するだけの誠実を有するならば、女が文筆を執ることは結構である。しかしごく少数者のみがそれをなし得るのであって、大多数の女はただ男をひきつけんがためにのみ書いていた。彼女らはその客間におけると同じく、書物の中においても虚言者であった。くだらない化粧に凝り読者と戯れていた。自分のちょっとした不都合を語るべき聴罪師をもたなくなってからは、それを公衆に語っていた。無数の小説が現われた。ほとんどいつも不貞なもので、いつも様子ぶったもので、舌たるい言葉で書かれ、香水店の匂《にお》いのする言葉で、気のぬけた温かい甘い異臭のある言葉で書かれていた。その匂いが文学全体の中にこもっていた。クリストフはゲーテと同じように考えた。「婦人には思うまま詩や小説を作らせて構わない。しかし男子は女のようなことを書いてはいけない。そういうことをする男子こそ、俺《おれ》は嫌《きら》いだ。」その中途半端な愛嬌《あいきょう》振り、そのいかがわしい仇《あだ》っぽさ、最もつまらない人物のために好んで費やされるその感傷風、気取りと粗暴とでこね上げられたその文体、それらの野卑な心理学者を、彼は嫌悪《けんお》の情なしには見ることができなかった。
しかしクリストフは、自分にはよく判断できないことを知っていた。彼は言葉の市場から来る喧騒《けんそう》に耳を聾《ろう》していた。笛の美しい節《ふし》は喧騒の中に消え失《う》せて、聞き取ることができなかった。というのは、快楽を主としたそれらの作品の間にも、底の方に、アッチカのなだらかな丘陵の線が清澄な空に微笑《ほほえ》んでいないでもなかった。――多くの才能と優美、生の楽しみ、文体の美しさ、または、ペルジノや若いラファエルの手に成った、半ば眼を閉じて恋の夢想に微笑んでいる憂わしげな青年にも似寄った思想。しかしクリストフにはそれが少しも見えなかった。精神の諸流を、何物も彼に示してはくれなかった。フランス人自身でも、それを知るのは困難であったろう。そして、彼が確かに見て取り得た唯一のことは、著作の過多という一事だった。あたかも社会的災難とも言えるほどだった。男も女も将校も俳優も紳士も囚人も、すべての者が筆を執ってるかのようだった。まったく一つの流行病だった。
クリストフは意見をたてるのを一時断念した。シルヴァン・コーンのような案内者についていると、まったく道に迷ってしまうかもしれないような気がした。ドイツにおいてある文学会から得た経験にてらしてみると、どうも自信がもてなかった。書物や雑誌にたいして疑惑があった。それらは多くの閑人《ひまじん》どもの意見だけを代表してるものでないかどうか、あるいはただ作者だけの一人よがりでないかどうか、それがわからなかった。芝居の方がずっと正確に、社会の実情を伝えてくれるのだった。芝居はパリーの日常生活中に、法外な場所を占めていた。それは放縦《
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