ど》を閉めてしまった。その隙間《すきま》から、中世紀のもの、バッハ、パレストリナ、俗謡などが、多少吹き込んできた。しかしそれがなんになろう? 室の中はやはり閉め切った感じばかりだった。要するに、彼らにはそれの方がよかったのである。彼らは近代の空気の大流通をきらっていたのである。そして、他の者らよりも多くのことを知っていたとはいえ、またより多くのことを否定していた。この連中の中にはいると、音楽は教理的性質を帯びるのであった。それは一つの休養ではなかった。音楽会は、歴史の授業か教化の実例かのようであった。進んだ思想も官学風になされていた。急湍《きゅうたん》のごときバッハも、この聖教徒らの中に迎えられると賢明になっていた。彼の音楽は、このスコラ派の頭脳にはいると、荒々しい肉感的な聖書がイギリス人の頭脳にはいった時と同じような、一種の変形を受けるのであった。彼が主唱する教義は、ごく貴族的な折衷主義であって、六世紀から二十世紀にわたる三、四の音楽的大時代の各特質を、一つに合同しようと努めることであった。もしそれが実現できた暁には、インドのある太守が方々への旅行からもどってきて、地球の四辺から集め
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