うでの音楽家であり音楽の大批評家であるテオフィル・グージャールへうち任せた。グージャールはすぐに七度音程と九度音程とについて話しだした。クリストフはその点で彼を追求した。グージャールの音楽の知識は、スガナレルのラテン語の知識程度だった……。
 ――……君はラテン語を知らないのですか[#「君はラテン語を知らないのですか」に傍点]。
 ――知りません[#「知りません」に傍点]。
 ――(威勢よく彼は言った。)カブリキアス、アルキ・チュラム、カタラミュス、シンギュラリテル……ボニュス、ボナ、ボニュム……。
 ところがグージャールは、「ラテン語を知っている」男を相手にしていることを見て取って、用心深く美学の荊棘《けいきょく》地に立てこもった。その攻略不可能な避難所から、問題外のベートーヴェンやワグナーや古典芸術を射撃し始めた。(フランスでは、ある芸術家をほめる場合には、かならず他派の者すべてを血祭りにするのである。)過去の因襲を蹂躙《じゅうりん》して新芸術が君臨するのを、彼は宣言した。パリー音楽のクリストファー・コロンブスによって発見された音楽の言葉のことを、彼は語った。それは古典の言葉を死語となして、それを全然廃滅させるものであった。
 クリストフはその革命的天才にたいする意見を差し控え、作品を見てから何か言うつもりではあったが、人々が音楽全体をささげつくしてるその音楽上のバール神にたいして、疑惑を感ぜざるを得なかった。また楽匠らにたいするかかる言を聞くと、不快な気がした。つい先ごろドイツにおいて彼自身、他の多くの楽匠らのことを云々《うんぬん》したのは、もう忘れてしまっていた。あちらでは芸術上の革命者をもって任じていた彼であり、批判の大胆さと血気に逸《はや》った率直さとで他人の気を害した彼でありながら、フランスで一言発しようとすると、保守的になってるのをみずから感じた。彼は論争しようとした。しかも理論を提出はするがそれを証明しようとはしない教養ある人間としてではなく、正確な事実を探求しそれで人を押えつけようとする職業家として、論議するの悪趣味をもっていた。彼は専門的な説明にはいることをも恐れなかった。論じながら彼の声は、この選良たちの耳には聞き苦しいほど調子高くなっていった。彼の議論とそれを支持する熱烈さとが、ともに彼らには滑稽《こっけい》に思われた。批評家グージャールは、一言の警句を吐いて、その途方もない議論を片付けようとあせった。クリストフは、自分の言うところを相手が少しも知っていないのに気づいて、呆然《ぼうぜん》としてしまった。それから、この衒学《げんがく》的な陳腐《ちんぷ》なドイツ人にたいして、人々は一つの意見をたててしまった。だれも彼の音楽を知らないくせに、くだらない音楽に違いないと判断してしまった。けれども、ただちに滑稽《こっけい》な点をつかむ嘲笑《ちょうしょう》的な眼をもってる、それら三十人ばかりの青年らの注意は、この奇怪な人物の方へ向けられていた。彼は手先の大きな痩《や》せ腕を、拙劣に乱暴に振り動かし、金切声で叫びながら、激越な眼つきで見回すのだった。シルヴァン・コーンは、友人らに茶番を見せてるつもりだった。
 話はまったく文学から離れて、婦人の方へ向いていった。実を言えば、それは同じ問題の両面であった。なぜなら、彼らの文学中ではほとんど婦人だけが問題だったし、婦人の中ではほとんど文学だけが問題だった。それほど婦人らは、文学上の事柄や人に関係深かった。
 パリーの社交界に名を知られている一人のりっぱな夫人が、自分の情人をしかと引き止めておくために娘と結婚さしたという噂《うわさ》に、彼らの話は落ちていった。クリストフは椅子《いす》の上でいらだちながら、渋面《じゅうめん》をしていた。コーンはその様子に気づいた。そして隣りの者を肱《ひじ》でつつきながら、あのドイツ人が話にやきもきしているところを見ると、きっとその婦人を知りたくてたまらながってるに違いないと、注意してやった。クリストフは真赤《まっか》になって口ごもっていたが、ついに憤然として、そういう女こそ鞭《むち》打つべきだと言った。人々はどっと笑い出してその提議を迎えた。するとシルヴァン・コーンはやさしい声で、花や……何……何……をもってしても、婦人にさわるべきではないと抗議した。(彼はパリーにおいて、愛の騎士であった。)――クリストフはそれに答えた、そういう種類の女は牝犬《めすいぬ》に等しいものであって、よからぬ犬にたいしては、ただ一つの良薬すなわち鞭《むち》があるばかりであると。人々はやかましく異議をもち出した。クリストフは言った、彼らの任侠《にんきょう》は偽善であって、婦人を最も尊敬しているらしい口をきく者こそ、最も婦人を尊敬しないのが常であると。そして彼はその破
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