ょう》的な愛情を示して、グラチアを自分のマントの中に入れてやろうとした。数週間前だったら、なつかしい従姉《いとこ》の胸に寄りすがるのは、グラチアにとってえも言えぬうれしさであるはずだったが、その時グラチアは、冷やかに遠のいた。それからまた、グラチアがひいてる楽曲を面白くないものだと思う由を、コレットが言ってきかしても、グラチアはやはりそれをひきつづけて、それを好んでいた。
 彼女はもはや、クリストフにしか注意を向けてはいなかった。彼女は愛情から来る洞察力《どうさつりょく》をもっていて、彼が苦しんでる事柄を推測していた。そしてそれを不安な子どもらしい注意のためにたいへん誇張していた。クリストフがコレットにたいして気むずかしい友情をしかもっていない時にでも、クリストフは恋してるのだと彼女は信じた。彼は不幸であると彼女は考えた。そして彼女は彼のために不幸であった。この憐《あわ》れな少女は、その心尽くしの報いをほとんど受けなかった。コレットがクリストフを腹だたせると、彼女はその償いをしなければならなかった。彼は不機嫌《ふきげん》になって、演奏の誤りを短気に指摘しながら、小さな弟子《でし》に向かって意趣晴らしをするのであった。ある朝、コレットは彼をいつもよりひどく怒《おこ》らせた。すると彼はいかにも乱暴な様子でピアノについたので、グラチアはそのわずかな技倆《ぎりょう》をも失ってしまった。彼女はひき渋った。彼はその音符の間違いを怒って責めたてた。すると彼女はすっかりまごついた。彼は腹をたて、彼女の手を揺ぶり、こんなではいつまでたっても正しくひけはしないと叫び、料理か裁縫か勝手なものをやるのはいいが、しかしもう断じて音楽をやらないがいいと叫んだ。間違った音符を聞かして人を苦しめるには及ばない。そう言って彼は、稽古《けいこ》の中途で放り出して帰っていった。憐《あわ》れなグラチアは涙の限り泣いた。それは、右のような屈辱的な言葉にたいする悲しさからというよりも、いくら望んでもクリストフを喜ばせることができない悲しさからであり、自分の愚かさによって愛する人の苦しみをさらに増させる悲しさからであった。
 クリストフがストゥヴァン家へ来るのをやめた時、彼女はさらにひどく悩んだ。故郷へ帰ってしまいたかった。この少女は、夢想においてまで健全であって、田園的な清朗な素質を失わないでいたので、神経衰弱のいらいらしたパリー婦人の間に交ってこの都会に住んでると、妙に居心地が悪かった。あえて口には出さなかったが、周囲の人々をかなり正確に判断してしまった。しかし彼女はその父と同様に、温良さや謙譲さや自信の不足などによって、臆病《おくびょう》で気が弱かった。主権的な叔母《おば》と圧制を事とする従姉《いとこ》とから、支配されるままになっていた。年老いた父へやさしい長い手紙を几帳面《きちょうめん》に書き送ってはいたが、あえてこうは書き得なかった。
「どうぞ私を連れ帰ってくださいませ!」
 そして老いた父も、連れ帰ることを望んではいたがあえてなし得なかった。なぜなら、ストゥヴァン夫人は彼のおずおずした申し出にたいして、グラチアは当地にいてたいへんいいとか、彼といっしょにいない方がはるかにいいとか、彼女の教育のためにまだ滞在していなければいけないなどと、すでに答え返してしまっていたから。
 しかし、この南国の小さな魂には流離があまりに悲しくなり、光の方へ飛び帰らざるを得ない時が、ついに到来した。――それはクリストフの音楽会後であった。彼女はそこへストゥヴァン家の人たちとともに行っていた。そして、芸術家を侮辱して面白がってる群衆の嫌悪《けんお》すべき光景を見ることは、彼女にとっては非常に切ないことであった。……芸術家、それはグラチアの眼には、芸術それ自身の面影たる人であり、人生におけるすべて崇高なるものを具現してる人であった。彼女は泣き出したくなり、逃げ出したくなった。それでもぜひなく、喧騒《けんそう》や口笛や非難の声を終わりまで聞かされ、また叔母《おば》の家に帰ると、種々の悪口を聞かされ、リュシアン・レヴィー・クールと憐《あわ》れみの言葉をかわしてるコレットの、はれやかな笑い声を聞かされた。自分の室の中に、寝床の中に、彼女は逃げ込んで、一夜のなかばすすり泣いた。彼女は心でクリストフに話しかけ、彼を慰め、自分の命をも彼にささげたがり、彼を幸福ならしむるようなことが何もできないのを悲嘆した。それ以来彼女はパリーにとどまってることができなくなった。彼女は連れ帰ってくれるようにと父へ懇願した。彼女は書いた。
「私はもうここで暮らすことはできません、もうできませんわ。このうえ長く放っておかれると、私はきっと死んでしまいます。」
 彼女の父はすぐにやって来た。そして、恐ろしい叔母に対抗する
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