ならざるを得なかった。ある音楽会の司会者は好奇心を起こして、日曜日の昼興行《マチネー》にその作を採用した。その幸運もクリストフにとっては一つの災難であった。作品は演奏された――そして失敗した。女歌手の味方は皆、無礼な音楽家を懲らしめてやろうと牒《しめ》し合わせていた。残余の聴衆は交響詩に退屈しきって、玄人《くろうと》筋の決議に雷同した。そのうえ運の悪いことには、クリストフは自分の技能を見せるため、ピアノと管弦楽とのための幻想曲《ファンタジヤ》を一つ、その音楽会で聞かせることを不用意にも承諾した。聴衆の不穏な気分は演奏者らをいたわりたい心から、ダヴィデ[#「ダヴィデ」に傍点]実演の間はある程度まで押えられていたが、作者自身と面を合わせる段になると――その演奏もまた大して正確ではなかったが――自由に発露された。クリストフは聴衆席の喧騒《けんそう》に気を腐らし、楽曲の途中で突然中止した。そして、にわかに静まり返った聴衆を不快な様子でながめながら、マルブルーの出征[#「マルブルーの出征」に傍点]をひいた――そして傲然《ごうぜん》と言った。
「諸君にはこれが適当です!」
そこで彼は立ち上がって出て行った。
大した騒ぎだった。人々は彼が聴衆を侮辱したと叫び、客席に来て謝罪すべきだと叫んだ。諸新聞は翌日、パリーのよき趣味によって罰せられた野卑なドイツ人を、いっしょになって筆誅《ひっちゅう》した。
その次には、ふたたびひっそりと静まり返ってしまった。クリストフはまたもや、敵意を含んだ他国の大都市の中で孤立した。今までになくひどい孤立だった。しかし彼はもはや気にしなかった。これが自分の運命である、生涯《しょうがい》このとおりだろう、と彼は信じ始めていた。
彼は知らなかった、偉大な魂は決して孤独でないことを、時の運によって友をもたないことがあるとしても、ついにはいつも友を作り出すものであることを、それは自分のうちに満ちてる愛を周囲に放射することを、また、自分は永久に孤立だと信じてる現在においても、彼は世の最も幸福な人々よりさらに多くの愛を他から受けていたことを。
ストゥヴァン家には十三、四歳の少女がいて、クリストフはこれにも、コレットと同時に稽古《けいこ》を授けていた。彼女はコレットの従妹《いとこ》で、グラチア・ブオンテンピという名前だった。金色の顔色をした少女で、頬骨《ほおぼね》の肉が軽く薔薇《ばら》色を帯び、頬がふっくらとして、田舎《いなか》娘のような健康をもち、やや反《そ》り返った小さな鼻、いつも半ば開いてる切れのいい大きな口、まっ白な円い頤《あご》、やさしく微笑《ほほえ》んでる静安な眼、長い細やかな房々《ふさふさ》した髪に縁取られてる円《まる》い額《ひたい》、そしてその髪は、縮れもせずにただ軽いゆるやかな波動をなして、顔にたれていた。静かな美しい眼つきをした、顔の大きな、アンドレア・デル・サルトの幼い聖母に似ていた。
彼女はイタリーの者だった。両親はほとんど一年じゅう北部イタリーの田舎《いなか》の、大きな所有地に住んでいた。野原や牧場や小さな運河などがあった。屋上の平屋根からは、金色の葡萄《ぶどう》畑の波が足下に見おろせた。黒いとがった糸杉《いとすぎ》の姿がところどころにそびえていた。その向こうには畑がうちつづいていた。閑寂だった。地を耘《うな》ってる牛の鳴声や、犁《すき》を取ってる百姓の甲《かん》高い声が聞こえていた。
「シッ!……ダア、ダア、ダアー!……」
蝉《せみ》が木の間で鳴いていた。蛙《かえる》が水のほとりに鳴いていた。そして夜には、銀の波をなした月光の下に、無限の静寂があった。遠くで、柴《しば》小屋の中にうとうとしてる収穫の番人らが、眼覚《めざ》めてることを盗人に知らせんがため、時々小銃を打っていた。半ば眠りながら聞く人々にとっては、その音も、夜の時間を遠くで刻んでる、平和な時計の音と異ならなかった。そして静寂はまた、襞《ひだ》の広い柔らかなマントのように、人の魂を包んでいった。
小さなグラチアの周囲では、人生が眠ってるかのようだった。人々はあまり彼女に干渉しなかった。彼女は美しい静穏のうちに浸って、静かに生長していった。いらだちも気忙《きぜわ》しさもなかった。彼女は怠惰で、ぶらついたり寝坊したりするのが好きだった。幾時間も庭の中に寝そべっていた。夏の小川の上の蝿《はえ》のように、静寂の上に漂っていた。そして時とすると、理由もなく突然走り出すことがあった。頭と上半身とを軽く右に傾けながら、しなやかに暢々《のびのび》として、小さな動物のように駆けた。飛びはねる面白さのために石ころの間を登ったり滑《すべ》ったりする、まったくの子|山羊《やぎ》であった。また彼女は、犬や蛙や草や木や、家畜場の百姓や動物などを相手に
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