に堕落したものではなかったか。
 ある晩、彼は自分の室で涙にくれた。絶望的に寝台の前にひざまずいて祈った。だれに祈ったのか? だれに祈り得たのか? 彼は神を信じていなかった。神が存在しないことを信じていた。……しかし、祈らざるを得なかった。自己[#「自己」に傍点]に祈らざるを得なかった。かつて祈ることのないものは、凡人のみである。強い魂にも時々その聖殿に隠れる必要があることを、彼らは知らないのである。クリストフは一日の屈辱からのがれると、心の鳴り渡る沈黙のうちに、自分の永久存在の現前を感じた。惨めなる生活の波は、彼の下に立ち騒いでも、両者の間には共通なものが何かあったか? 破壊を事とするこの世のあらゆる悩みは、その巌《いわお》にたいして砕け散ったではないか。クリストフは、あたかも身内に海があるように、動脈の高鳴るのを聞き、一つの声がくり返し言うのを聞いた。
「永遠だ……俺《おれ》は……俺は。」
 彼はその声をよく知っていた。記憶の及ぶ限り昔から、彼はいつもその声を聞いてたのである。ただ時々忘れることがあった。往々幾月もの間、その力強い単調な律動《リズム》を、意識しないことがあった。しかし彼は、その声がいつも存在していて、暗夜に怒号する大洋のように、決して響きやまぬことを知っていた。その音楽のうちに浸ることに、静安と精力とを見出してはくみ取るのだった。そして慰安を得て起《た》ち上がった。否、いかほどつらい生活をしていても、少しも恥ずべきではなかった。顔を赤らめずに自分のパンを食し得るのだった。かかる代価をもって彼にパンを買わしてる人々こそ、顔を赤らむべきであった。忍耐だ! やがて時期が来るだろう……。
 しかし翌日になると、また忍耐がなくなり始めるのだった。彼はできるだけ我慢をしてはいたが、ついにある日、馬鹿でおまけに横着なその女郎《めろう》にたいして、稽古《けいこ》中に癇癪《かんしゃく》を破裂さした。彼女は彼の言葉つきをあざけったり、小意地悪くも彼の言うところと反対のことばかりをしたのである。クリストフが怒鳴りつけるのにたいして、この馬鹿娘は、金を払ってる男から尊敬されないのを憤りまた恐れて、喚《わめ》きたてて答えた。打たれたのだと叫んだ。――(クリストフはかなり乱暴に彼女の腕を揺《ゆす》ったのだった。)――母親は猛烈な勢いで駆け込んでき、娘をやたらに接吻《せっぷん
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