最も国民性を失いやすいものである。クリストフの魂はすでに、ラテン芸術から、如上のことがなかったら決してもち得ないような、一つの簡明さを、心の明朗さを、またある程度まで造形的美をさえも、知らず知らずのうちに取り始めていた。彼のダヴィデ[#「ダヴィデ」に傍点]はその証拠であった。
 彼はダヴィデとサウルの邂逅《かいこう》を取り扱いたかった。そして人物二人の交響曲の一|齣《こま》に立案した。
 花咲いた灌木《かんぼく》の曠野《こうや》の中の、寂しい丘の上に、牧童が寝そべって、日向《ひなた》で夢想にふけっていた。清朗な光、虫の羽音、草葉のやさしい戦《そよ》ぎ、通りゆく羊《ひつじ》の群れの銀の鈴音、大地の力、それらのものが、自分の聖《きよ》き運命をまだ知らないこの少年の夢想を揺っていた。彼はうっとりしながら、自分の声と笛の音とを、なごやかな静寂のうちに融《と》かし込んでいた。その歌にはいかにも静穏明快な喜びがこもっていて、聞く人に喜びや悲しみを考えさせることなく、ただかくのとおりであってこれ以外ではあり得ないというように、思わせるのであった。……にわかに、大きな影が境野の上に広がってきた。空気がひっそりとなった。生命は大地の血管中に潜み込んだかと思われた。ただ静かに笛の歌のみがつづいていた。サウルが幻影に駆られながら通りかかった。心乱れたこの王は、虚無にさいなまれて、嵐《あらし》に吹きゆがめられつつ燃えさかる炎のように、いらだっていた。自分の周囲と身内とにある空虚にたいして、懇願しののしり挑《いど》みかかっていた。そして彼が息つきて曠野の上に倒れかけた時、なおつづけられてる牧童の歌の平和な微笑《ほほえ》みが、静寂のうちにまた現われてきた。サウルは騒ぎたつ胸の動悸《どうき》を押えながら、寝そべってる少年のそばへ無言で近づいていった。なお無言のまま少年を見守《みまも》った。その傍《かたわ》らにすわって、この牧童の頭に熱い手をのせた。ダヴィデは心|臆《おく》しもせず、振り向いて王をながめた。そしてサウルの膝《ひざ》に頭をのせて、また歌をつづけた。夕闇《ゆうやみ》が落ちてきた。ダヴィデは歌いながら眠ってしまい、サウルは泣いていた。そして星の輝く夜のうちに、甦生《そせい》した自然の賛歌と回癒《かいゆ》した魂の感謝の歌とが、新たに起こってきた。
 クリストフはその場面を書きながら、自分自
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