を、コレットが自分の周囲に集めて喜んでるらしいことだった。たまらない気取りやどもで、多くは金持ちでとかく閑散であるか、あるいは何かの官省の閑官の気に入りであった――いずれにしても同じことだった。皆物を書いていた――書いてると自称していた。それは第三共和政時代における一つの精神病であった。ことに虚栄的な怠惰の一形式であった――知的労働はあらゆる労働のうちで、最も点検しがたいものだったし、最も空威張《からいば》りのきくものだったから。彼らはその大なる労苦については、控え目ではあるがしかしもったいぶった言葉を、少しばかり口にするきりだった。自分の仕事の重大さをしみじみ感じてるがようであり、その重荷の下に苦しんでるがようだった。初めのうちクリストフは、彼らの作品や名前を全然知らないので少々困却した。そしてひそかに調べてみた。戯曲界の大立物だと彼らから言われている一人の男の書いた物を、彼はことに知りたかった。ところが、その大劇作家はただ一幕物を一つ作ったのみだと知って、彼はびっくりした。しかもその一幕物が、最近十年間にわたって彼らの雑誌の一つに発表された、一連の短編というよりむしろ一連の小品からでき上がった一つの長編小説を、さらに抜粋してきたものであった。他の者らの作も、同じような分量だった。二、三の一幕物、二、三の短編、二、三の詩だった。一つの論文で名高くなってる者もいた。「これから作るはずの」書物で有名になってる者もいた。彼らは大きな長い作品をいつも軽蔑《けいべつ》していた。文句中の言葉の布置を極端に重んじているらしかった。それでも、「思想」という言葉が彼らの話にはしばしば出て来た。しかし普通の意味とは異なってるらしかった。文体の些細《ささい》な事柄にその言葉をあてはめていた。とは言え、彼らのうちにも、偉大な思想家や偉大な諷刺《ふうし》家がいた。そういう連中は、物を書く時に、深遠巧妙な言葉を読者が見誤らないようにとイタリックになしていた。
 彼らは皆自己崇拝者であった。それが彼らの有する唯一の崇拝だった。その崇拝を他人にも分かとうとしていた。あいにくなことには、他人も皆それをすでにそなえていた。彼らは話すにも、歩くにも、煙草《たばこ》を吹かすにも、新聞を読むにも、頭や眼を向けるにも、たがいに挨拶《あいさつ》し合うにも、たえず公衆を念頭に置いてやっていた。道化《どうけ》は青
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